2010年12月31日金曜日

■心の道、忘れることなかれ!-篠塚和典の物語㉛

「道」を無視すれば、

自我が膨らむ、これが邪気をためるもととなる。

「道」を忘れたものは、

迷子になり、不安の邪気に襲われる。

心を丸くすれば、心が円満になり、

「道」が見えてくる。


気功心法―「心の道」

邪気を自分の「心の部屋」に入れないこと。

心が汚れている他人の「心の部屋」に入らないこと。

怒りっぽい人、イライラカリカリする人、他人のうわさを言ってはよく悪口を言う人、

他人と比較しては自慢したり、または愚痴をよくこぼす人、そういう人の話は聞かない、無視する

ことです。

人をあなどり見下す人、感謝の心が持てず「恩を仇で返す」ような人、礼儀のない人、他人をあて

にして、怠慢で、働かないなまけものの人、他人の手柄をよく取る人、こんな「人格」に欠ける人

には、近づかない、付き合わない勇気を持つことです。


「類は友を呼ぶ」、邪気は邪気を呼ぶ。

邪気は悪さをする、近づけば、付き合えば、自分に伝染して自分も悪さをするようになる。

「類は友を呼ぶ」とは、このことなんですね。「気の原理」なんです。

そうなれば、他人を不幸して、自分も不幸になる。


「邪気」もエネルギーです。だから、力となる。

ゆえに、邪気をもってしまうと、人は悪さができる。

そのエネルギーが強ければ、当然、悪さも強くなり、邪悪な行いができるのです。



邪気をためると、いずれ自己破壊を行うから気をつけよう。

邪気いっぱいの時は、一見して強そうである、しかし、それは単なる強がりであって、真の強さ

ではない。

一旦かかった邪気は、軽いうちは、軽くとれる。

強い邪気、あるいは、長い時間かけてため込んだ邪気は、なかなか取れない。

そうなると、いずれ自分の中で渦をまくようになり、自己破壊を行うようになり、

結果として、「自爆」していく。


これが、「気の原理」なんです。


他人の「邪気」を恐れない、他人の悪行を怖がらない。

なぜなら、先も言ったように邪気は、「自己破壊」して自爆していくからです。



これは宗教ではない、ごくごく当たり前なことなんです。

自然界の「天が行く道」であり、「地が行く道」であり、「人が行く道」である。

これを私は、「気が行く道」とした、だけなんです。

信じる信じないの問題ではない、自然界の存在を誰も否定できないはずです。


「道」を無視すれば、自我が膨らむ、これが「邪気」をためるもととなる。

「道」を忘れたものは、迷子になり不安の邪気に襲われる。


だから、「邪気」をいたずらに恐れない、怖がらないことだ!

ひたすらに、「丸い心」に進ぜよ、


そうすれば、自ずから「道」ができる、「道」の光の兆しを感じられるようになるから。

実践していくことです、続けていくことです、必ず私が言ったことが体験できるから心配しないこと

だ!


心を丸くすれば、円満な心になる。

これが、「心気が行く道だ!」、忘れること勿れ!


では、今年はここでおしまいです。

長いこと読んで頂いて、本当にありがとうございました!

来年の1月11日からスタートさせて頂きますが、また読んでくださいね、

よろしくお願いします。


感謝の心をこめて、ありがとう!


来年もみなさんによいお年でありますように、心よりお祈りいたします。



つづく→篠塚和典物語㉜
あんどうよしみ

2010年12月30日木曜日

■心の窓を開け清潔に、奇跡は向こうからやってくる。-篠塚和典の物語㉚

「心の窓」を開けることです。

風通しがよくなり、邪気を押し出してくれる。

光が入り、日当たりがよくなり、滅菌してくれる。

「心の部屋」を清潔にすることです。

そうすれば、正気が正気と共振し、幸が結ばれ福が天からやってる。

気功心法、幸福の道。


「邪気」は悪さをする。

「邪気」をもっていると、悪い行いをする。

悪い行いは、他人を不幸にして、自分も不幸になる。

他人を不幸にした分、そのつけに自分にその不幸のポイントが倍増してたまっていく。

それはまるで、自分の「心の部屋」がどんどん汚れていくみたいなもの。

自分の「心の部屋」に邪気をつくらない、これが大切。

いつわりがない、うそつかない、

他人を妬まない、他人のせいにしない、他人を恨まない憎まない、他人を落とし入れない、他人の

ものをとらない、他人の手がらをとらない・・・、

イライラ、カリカリ、クヨクヨ、メソメソ・・・しない。

思いあがって人をあなどなるでない、人を見下して礼を欠かせてはいけない。、


自ら、「心の部屋」を汚さないということですね。



自分の「心の部屋」に正気をつくる、これが大切。

丸い心にして、平常心に保ち、感謝の念をもち、謙虚な姿勢をとる。

自分で常に「心の部屋」を清潔にする、衛生管理をする。


清潔な「心の部屋」は、風通しもよく、光が入って日当たりもよくなる。

そうすれば、どうやって精神力を強くしていくか、考えなくても済む。

なぜなら、自然な風が、自然な光が、部屋に満ちてあなたの力となるからだ。

だから、自然に、精神力が高まっていて、人は自ら強くなっていくのです。


日本人の心、「赤ちゃんは天の授かりもの」

そうして、すべては、自然の力がよい成果を運んでくる、だからよい結果が生まれる。

「心の窓」をあけて清潔に掃除しておけば、自然の力が飛んできて媒介してくれる、

だから、きれいな花が咲き、花の命も長持ちする。


日本人の心、「天から赤ちゃんを授かる」、この発想も同じ原理なんですね。

天と心を結べば、心も元気な、体も元気な、赤ちゃんがやってきます。


これは宗教ではない、当たり前な自然界に存在する「天がいく道」であり、

「地が行く道」であり、人間として当たり前にして、「人が行くべき道」である。


もし、あなたが日本人なら、なおさらのこと、私が言っていることが納得できると思う。

なぜなら、私は、すごく当たり前なことを言っているだけなんです。

これを私は、「気が行く道」とした、だけなんです。



つづく→篠塚和典物語㉛
あんどうよしみ

2010年12月29日水曜日

■周りに「邪気」が多い、どうすればいいのか?-篠塚和典の物語㉙

周りに「邪気」が多い、どうすればいいのか?

自分は「邪気」を取りはらう、これはいい。

しかし、周りに「邪気」が多い、どうすればいいのか? という声が高い。

たしかに、世の中は「邪気」だらけだ、これは悩みの種ですね。



「正気」を補充する、これでいい、継続していくことだ!

昨日も言ったように、気の立場からみれば、「正気」を補充していくということだ。

「正気」を充満していけば、「邪気」が攻めてきても、入り込めないのだ。


ダルマさんの底は丸く、重心が低い、だから倒しても起き上がる。

ダルマさんは七転び八起き、、つまり、七たびころんで八たび起きるの意。

度重なる失敗にも屈せず奮起することのたとえ。


ダルマさんを心のお守りにすればいい、心に念じればいい。

でも、それだけではだめ!

必ず、ダルマさんの姿勢を、実践して行かなければ、意味がない。



心を丸く、低い姿勢でいること。

「心」をたえず丸くしていく、角をたたせない、とんがらせない、そういうことだ。

これが、「円満な心」となっていくから。



円満な心、これが平常心だ。

丸ければ倒れてもすぐに起き上がれる、だから、心が傷ついてもすぐに回復できる。

いつわりのない心、謙虚な姿勢でいること。


偽りがない、思いやりの、≪重心≫をとって、謙虚という≪低い姿勢≫で生きていくことだ、そうすれば、足元取られない。

取られて倒れても軽いケガで済む、なぜなら「仁徳」があるから、すぐに起き上がれるさ。


この継続の力が、何にも負けない力、だから「真の実力」だというのだ。



「邪気」は悪さをする。不幸のもと、災いをつくる→つづく。



                                      つづく→篠塚和典物語㉚
                                           あんどうよしみ

2010年12月28日火曜日

■今年にためた邪気は年内に掃除して幸福になろう!-篠塚和典物語㉘

どうしたら、人は幸福になれるのか?

言うまでもない、心と体がまず健康であることだ。

ひとりひとりの人間が、心と体が健康であれば、幸福であれば、

となりの人に意地悪しようとか、つねってやろうとか、

そんな恨みやつらみの気持ちはないだろう。

そうすれば、調和がとれて、自ずから平和は向こうからやってくる。


今、周りを見渡しても体が元気なのに、心が病んでいる人が実に多い。

気の立場からみれば、「邪気」を持てば人は病むという。

つまり、心に「邪気」を抱え込む人がいかに多いということだろう。

それならば、「邪気」をはらいましょう!


「邪気」を自分の中に取り込んでしまった時は、気功心法で自分で取りはらうといい。

お腹の虫を駆除するみたいにすればいい。

その気があれば誰でもできる、お腹の虫は必ず出ていくから。


しかし、自分の中の「邪気」を駆除しても、周りの人に「邪気」があれば、

気は共振してしまうから、自分に影響する。


つまり、伝染病みたいに、「邪気」は自分にも他人にも、うつるのです。

では、どうすればいいのか? ということですね。


そんな時は、「正気」を補充していくことがコツだ。

「正気」が自分の中に充満していれば、「邪気」は入り込めない。

これが気の原理だ。


前回言いましたね、ダルマの技、篠塚さんの円環体の技がそうです。

正気は、他とは戦わない。戦わないが、攻められても≪負けないのだ!≫


心の病も、体の病気や痛みも同じ原理です。


正気が満ちた時、邪気は入り込めない、体内に免疫力があるので治癒してくれるから、

結果として病気が治っていくのです。


篠塚さんの腰の痛みの克服、私の黄斑変性症の克服、

これらの実例が、「正気」の所在を証明した!


「最高の名医はあなたです、最高の妙薬はあなたの中にある。」

これが「気功心法」の真髄である。


自分を大切にするということは、自分の中に「邪気」を入れないことがコツです。

これができるのは、あなたしかいないんです。

24時間、あなたと付き合えるのは、あなたしかいなんです。


他人と比較しない、他人をうらやまない、他人に嫉妬しない、

他人のせいにしない、他人を恨まない、

これが、「邪気」を自分に取り込まないということだ。


感謝は、「正気」です。

このエネルギーを自分の心の中に取り入れて、ためていこう!

これが、攻めないが負けない、心のレシピなのです。


あなたが、あなたの人生の主役なんです!

篠塚和典物語㉙へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年12月27日月曜日

■気功心法、バランスとは重心をとることだ!-篠塚和典物語㉗

野球が上手になりたい人、赤ちゃんがほしい人、健康になりたい人へ

バランスとは重心をとることだ! 「気功心法」

からだの重心を失うと、からだがころんで倒れる。

こころの重心を失うと、こころが不安になって心が傷つく。

足元がしっかりすれば、倒れそうになっても体は元の位置にもどる。

こころが丸くなれば気が満ちる、不安は消えて喜びを感じる。


起き上がり小法師とは、ダルマさんのこと。

「継続は力なり」と、篠塚さんが言いましたね。

継続するって、ダルマさんみたいなんですね。


ダルマって、押すと倒れますね、でも、倒れたままにはならない。

すぐに元の自分の姿勢を取りもどす。

何度も何度も・・・ダルマは倒されては起き上がる。


ダルマは七転び八起き、とよくそう表現される。

つまり、七たびころんで八たび起きるの意。

度重なる失敗にも屈せず奮起することのたとえ。


この継続の力が、何にも負けない力、だから「真の実力」となる。


ダルマさんの底は丸くなっていて、重心が低く作られているから、

倒しても起き上がるのだ。

【6・9】の日の篠塚さんのサヨナラホームランの「円環体」も、まったく同じ原理。


樹木もそうです。

根元がしっかりしている樹木って、台風や洪水にも負けず、

倒れそうになっても再び元の自分の立ち位置にもどる。


元の位置にもどせるから、「元気」が頂けるのてすね。

元気は、天から授かった力だから、何度も何度も回復していく。

回復して元気になるから、再び成長していける、だから何度も何度もチャレンジができる。


まさしくこれが、≪たくましさ≫なんですね。

だから、負けないって、強いということですね。


どんな道でも、「達人」と呼ばれる者は強い。

それは、負けない力をもっているから、達人と呼ばれる。

負けない力を身につける秘訣(ひけつ)を知っているから、

達人の教える「基本」を継続して練習すれば、負けない力が身につく。


「基本」は、根元をしっかりしていく。

継続して練習すれば、これが「基本の力」となり、「継続の力」となる。


誰でも習い事すれば早く上手になりたい、病気すれば早く治りたいと願う、

赤ちゃんがほしいと思ったら早く妊娠したいと思う。

でも、仮に、早く技が上手になったつもりでも、基本の力がなかったら、

根元が甘いから、足元がくずれやすい、とられやすい、一旦倒れたらケガもしやすい。


体を整えないうちに、早く妊娠しても、子宮内の環境が悪かったり、

体力がなかったら、流産しやすくなる。元気な赤ちゃんが産めなくなる。

生まれても、育てていく体力・気力がない。

病気もそうです、一旦治っても、基本となる体力がなかったら、再発してしまう。


基本は簡単だけど大切な力を養う。

基本は簡単な動作、簡単な手法、だから繰返し繰返しでできる。

簡単だけど侮ってはいけない、大切な力を養うからだ。


簡単すぎると、「こんなのでうまくなるの?」と、あなたは思うのかもしれない。

でも、篠塚さんが言ったように、継続していけば、「力」となるのだ!


赤ちゃんがほしい妊娠したい人も同じです。

病気を治したい、健康になりたい人も同じです。

丹田マッサージは、「基本」なんです。

そこが、人間の生命の源、エネルギーの貯蔵庫と言われている部分だからです。

≪元気体≫にもどれば、天から元気の力が授かる。


この力があれば、子宮環境をきれいにしてくれるし、自ずから元気な赤ちゃんが授かる。

病気している人も病気を心配せずに、この力で自ずから元気になれるのです。


こんなのであなたの病気が治るの、こんなのであなたにも自然妊娠できる。

私は、20数年間、西洋医学から見放された様々なパターンの難病に悩む方たちに

気功心法による≪心と体のバランス健康法≫の指導の教室を実践した。


しかし、最初はほとんどの人は、

「こんなので治るの?」、「こんなので自然妊娠できるの?」と、言われてしまう。


そう聞かれると、私はこう答える、

「そう、こんなので妊娠できるの、あなたが本当に赤ちゃんがほしければ・・・」

「そう、こんなのでよくなるの、あなたに治りたい気持ちがあればね」って。


早く腰の痛みを治したい篠塚さんもそうでしたね。

でも、さすがの篠塚さん、すぐに自分の本来の姿勢に気づき、自分を取り戻した。


「最高の名医はあなた、最高の妙薬はあなたの体内にある」

これが、気功心法の理念。



篠塚和典物語㉘へ続く・・・

あんどうよしみ

あなたが主役です!

2010年12月23日木曜日

■継続する力は、心の力だ!-篠塚和典物語㉖

野球が上手になりたい人、赤ちゃんがほしい人、健康になりたい人へ

「継続は力なり!」 篠塚和典名言

篠塚さんらしいや~

篠塚さんのブログに、しきりにこんな言葉がありましたね。

本当に篠塚さんらしくて、とてもなつかしいな、と私は思った。


この言葉は、篠塚さんの口ぐせですが、当初、気功心法を指導するにあたり、

私は彼の生活行動の、ひとつひとつのふるまいをよく観察していた。


彼は、もともとまめというか、細かいというか、よく細かいところに気がつく人で、

この人ならガラスの上でもうまく動きまわれると、思わせる動きをとっていた。

また、どんな事柄にも、≪よく手入れをする≫、それを継続している。


たとえば、車をよく洗っていた。その手入れがハンパじゃない。

しかも、毎度毎度が手を抜かないというあきれぶり。それを継続していた。

車の専門家が私にこう言った、

「篠塚さんの車は、手入れがすごいから、新古車みたいに高く売れる」と。

もともと気功心法を受ける前から、彼はそんな「継続の力」を所有していたのです。


気功心法―「継続する力は、心の力なり」

気功心法は、常に「心と体のバランス」を考えて指導していくものですが、

この「継続の力」は、「心法」の指導を行う、メンタルの分野に属する。


「継続の力」が身につくと、精神力が高まる。

精神力が高まれば、「継続の力」が身につく。


心の力が足りないと、3日坊主になる。

「3日坊主」ってよく言うでしょう、こんな経験ってあなたにありませんか?

継続する、継続していく、簡単にそう言われても、実践するのは難しい。

なかなか≪心気のパワー≫が足りないと、続けていくことって意外に大変。

単純なことだけど、本当に日々が・・・心が試される思いですね。


自分をよーく知り、自己管理を行う。

野球の技を習うんでも、ピアノのおけいこでも・・・どんな技術や学問を習得する

場合でもそうだけど、自分のことをよく知っておくということ、

自分で管理するということが大切なんですね。


日頃の心を養生する。

傲慢や怠慢しない心、イライラ、カリカリしない心、メソメソ、クヨクヨしない心、

だだこねないこと、いいわけしないこと、人のせいにしないこと・・・、

そんな日頃の自分の心をコントロールしていく、養生していくことが肝心ですね。


心を養生しないと、自分に苦労よ!

説教しているわけじゃない、あなたが苦労しないために言っているんです。


なぜなら、日頃そういう「心の動き」をしていると、

たとえあなたが技術がうまくなったからといって、ケガしやすくならない?

それに、運動選手はケガと背中合わせだよ、

あなたケガするたびに、イライラ、カリカリして、メソメソ、クヨクヨしてたら、キリがないでしょう? 

人のせいにしたところで、あなたのケガよくなるの?

そんな自分に苦労するよ。


また、日頃、もしあなたがプライドが高かったり、自己愛が強かったりすると、

人は知らず知らずのうちに、生意気な態度になり、簡単なことがきらいになり、

「こんなのでうまくなるの?」って疑いをもつようになる。

そうすると、怠けていくから、ここのところを気をつけることがポイントとなる。


そうかと言って、すごく自信をもつ必要はない、すごく努力する必要もない、

大切なのは、やる気になること、やりたいことを好きになること、

基本となる練習をただただ、ひたすらに、ひた向きに打ち込んでいくことです。


達人がやった方がいいというものには、簡単そうに思っていても、

それなりにわけがある、「意味」があるから、そう進めているんです。


そのわけ、その意味をあなたが今知らなくても、ただひたすらに継続してやって

いけば、そのうち、あなたにもそのわけや意味が、自然とわかってくるのです。


これが、≪継続の力をゲットする近道だ!≫と、気功心法は教えている。


この継続の力が、いずれ「真の実力」をゲットすることとなる。

真の力は、ダルマみたいなもの・・・篠塚和典物語㉗へ続く

あんどうよしみ

2010年12月22日水曜日

■他力本願しない、自分で克服する心が大切!-篠塚和典物語㉕

気功心法の理念

「最高の名医は自分であり、最高の妙薬は体内にある」

24時間、あなたと付き合えるのは、自分でしかない。

自分をよーく、知ってください。

24時間、あなたのために働くのは、体内の治癒能力しかない。

このことを悟ってください。


悪玉とは戦わない、でも、悪玉に負けない方法を身につけていく。

悪玉に負けなければ、これが悪玉を克服することになる。


・・・つづき

「冗談じゃねぇや」って顔をしていた篠塚さん。

「オレは即、治してほしいのに・・・」

篠塚さんには申し訳なかったが、「気功心法」は自分で行う手法です。

残念ながら≪他力本願≫のようなものは一切ありません。


篠塚和典著、「ミスターがくれた19年」 、ベースボール・マガジン社発行

の本のP182~189に篠塚さん自身も書いてありましたが、私が彼に言ったのは、


「この方法は、自分に治りたい気持ちがなければダメなんです。


人間には生まれながらにして、治癒能力がある。それを引き出すのです。


最高の名医は自分であり、最高の妙薬は体内にあるのです。


わたしは篠塚さんの内面を引き出すための、お手伝いをするだけです。」

もしもあなたも慢性的な腰痛で悩んでいるのなら、

ぜひともこの本を読んで研究してほしいのです。



勿論、腰痛に限ったことではない。

一発で治せないあらゆる慢性的な症状、または、

なかなか妊娠できず「未妊」で悩んでいる方にも同じことが言えます。


私もなかなか治せない「黄斑変性症」の病気をしたが、

とにかく治そうと焦らない心を養うことが肝心、ムキにならないことです。


≪長期戦≫だと考え、まず体の全体を整えると同時に、

心も病まないように養生することが大切です。

これがかえって願いが叶い、治癒への近道となる。

何でもそうです、長期戦になりそうな場面に遭遇した時、

無闇に攻めても体力が消耗し体が疲れやすくなるだけじゃない、心も疲れていくだけ。

それより、自分の心と体を整え、養生した方が賢明ですね。


篠塚さんは長年の腰痛を抱えながらも、体を整え、心をコントロールし、

【6・9運命の日】で≪気功心法の有効性≫を証明してくれたのです。

篠塚和典物語㉖へ続く・・・

あんどうよしみ








2010年12月21日火曜日

■戦わずして負けない!こころのレシピ(気功心法)-篠塚和典物語㉔

あらためて篠塚さんのプロ精神の根性を知らされましたね。


篠塚さんの腰痛の病名は、「第5腰椎分離症」。

注射も効かなくなって、いいと言われた治療法のすべてをうけたが、だめだった。


慢性的なゆううつになる「心境」

やるべきことはすべてやった、頑張っているのに思うように行かない、

そんな状態に陥れば誰だって焦る気持ちになり、本当にいやになる。

「なぜなんだ?」と、神様にそう聞きたくなる。


私が難病の「黄斑変性症」を患った時も、私の未妊の教室に通う生徒さんも、

そういう「心境」なんですね。

外側からは一見にして何も困っている様子がない、すぐに命が取られるわけでもない、

でも、この慢性的なゆううつになる「心境」は他人に理解されないから、本当につらいですね。


日本人独特な「心理行動性」

余談ですが、私は、他の「民族心理」も合わせて研究しているのですが、

日本民族の心理行動は、騒ぎを起こさない、騒がない、静か・静けさを好み、

奥ゆかしいというか、自分のことを他に言わない、他に表現しない傾向がみられる。


私は個人的に日本人のこのような独特な≪静かな心理行動≫が好きで美徳だと思うのですが、

今のような時代で世界的な観点からみれば、日本人自身にとってマイナスだと思うのです。

だからといって日本の美徳となるような独特精神性を変えてしまうのは反対ですね。

そこで、私が提案したいのが「気功心法」なんです。


日本の伝統な精神文化を温存する「気功心法」

「気功心法」は、騒がず、戦わずして負けないこころのレシピ、

しかも自分を守ることができる手法をもっている。


ぜひとも後世の教育や医療の心理療法として取り入れてほしい。

そうすれば、日本の伝統的な精神文化を守りつつ、

戦わずとも世界競争に負けないことができる。


篠塚さんのお話に戻しますが、

野球選手生命が脅かされるほどの腰痛を抱え

彼にしてみれば≪わらにもすがる思い≫で私のところに来た。

それなのに、私はなんの治療も彼に施さなかった。

勿論、彼は大変に不満だった。


「冗談じゃねぇや」って顔をしていた篠塚さん。

おまけに腰痛で来たのに、6時間も座らせられて講義を受けた。


「オレは即、治してほしいのに・・・」、というのが彼の心境だっただろう。

おそらく、その時はまるで説教されに来たみたいな気持ちになり、

「冗談じゃねぇや」って顔をして、彼は何度も座り方を変えてはとうとう体が斜めになっていった。


それはそうだ、今に思えば、腰が痛いというのに、6時間も座らせる方が

非常識なのかもしれない(笑・・・ゴメン)。

あの時の篠塚さんの顔、今でも鮮明に覚えているが、

思い出すだけでも笑いが吹き出しそうです(笑、ユルセー)。

それほど、彼は腰が痛かったし、焦っていた。


腰痛で6時間の「気功心法」の講義をうけた篠塚さんの根性。

そんな彼の顔つきや座り姿勢を見て、私は決して気にならなかったわけではなかった。

私がお話している「気功心法」の内容を聞いて、本当にいやなら、

或いはガマンの限界にきたのなら、普通なら誰でも立ち上がって≪ギブアップ≫するだろう。

私は常に相手に合わせ、その時の状況を判断しながら、臨機応変の体制をとっている。


しかし、彼は一言もおっしゃらずに座って話を聞いていた。

だから、私はついつい6時間もしゃべり続けたのです。(笑)

ですから、こんなこと言っちゃなんですが、私が6時間講義したというより、

篠塚さんの方が「気功心法」に興味ありそうだったので、

6時間も私の方がしゃべらさせられたのです。(笑・・・ホント)


私の内心では、「この人、腰が痛いというのに、根性あるな・・・」と思っていた。

腰痛で私のところに来た人はたくさんいったが、6時間も座り続けたのは、

先にも後にも篠塚和典さんだけでした。


あらためて篠塚さんのプロ精神の根性を知らされましたね。


この方法は、自分に治りたい気持ちがなければダメなんです

   ・・・篠塚和典物語㉕へ続く

あんどうよしみ

2010年12月20日月曜日

■ギックリ腰!痛みはトラウマになる。―篠塚和典物語㉓

体と心は、つながっている。

「気功心法」の立場からみれば、≪痛みと心理≫は深く関係しています。

「痛みのトラウマ」とは何か?前回はこんなお話をしましたね。


篠塚さんの場合は、病名「第5腰椎分離症」

典型的な体の痛みからくるトラウマだと私は思った。

腰椎の椎弓の上下関節突起部分が断裂した状態ですが、

野球プレーのすべての動作が腰に負担がかかり痛みが生じるものだった。


通称「ギックリ腰」に似た症状を起こす、やっかいなものです。

疲れがたまるだけでも激痛が襲ってくる、気をつけていても、

痛みが突然やってくるから始末が悪いと、当時の彼は嘆いていた。

初期のころは、痛み止めの注射を打てば一発で治ったが、その注射も効かなくなった。


いいと言われた治療、いろいろうけてみた。

彼は、日本中、いろんなところまで足を運び、いいと言われたものはすべてやったという。

「いい医者がいるよ」と、言われればそこにも行った。

「いい整体師がいるけど・・・」と、言われれば施術もしてもらった。

1時間半くらいかけて、ツメでガリガリ・・・と体中を引っ掻き、

まるでカミソリで切り裂かれているような感じになる治療法も受けてみた。


野球選手生命を脅かす腰の痛み

つまり、彼は野球選手をやめて安静をとればよくなる、そんな状態だった。

しかし、彼はプロの野球選手、やめるわけにはいかない。

野球選手を続けるにはどうすればいいのか? これが問題だった。


気功心法で、「痛みのトラウマ」をコントロールする。

そんな状態の中で、篠塚さんは私の所にやってきたのです。


私にできることは、彼に「気功心法」を教え、自分自身で「痛みのトラウマ」の

≪心のロック≫をはずす、この方法を試してみる、これしかなかったのです。


痛みはトラウマになる。

先ほども言ったように、体は、心とつながっている。

体が痛い思いをすれば、心もこの痛みを体験して強い精神的ストレスを受ける。


体の痛みは24時間継続するわけではない。

でも、心は痛みが忘れられないのですね。


ですから、体の痛みは、ある程度の時間が経過したあとも、

心的障害を引き起こす原因となる可能性は十分にあると、気功心法は想定し、

これを「痛みのトラウマ」と呼んでいる。

そして、その解決方法を探り研究しているのです。


つまり、気功心法で「痛みのトラウマ」をコントロールする、という試みです。


しかし、訪ねてきた彼に、私は一切の治療も施さなかったばかりか、

「オレは即、治してほしいのに・・・」と、焦っていた彼に、6時間にも及ぶ講義をした。

「冗談じゃねぇや」と、彼は心の中で思っていたようですが、

当時の彼の顔に十分にそれが書いてあった(笑)

    ・・・篠塚和典物語㉔へつづく


「ミスターがくれた19年」 、篠塚和典著、ベースボール・マガジン社発行
P182~189


あんどうよしみ

2010年12月17日金曜日

■気功心法で「痛みのトラウマ」の心のロックをはずす-篠塚和典物語㉒

痛みと心の深い関係

心と体は、つながっている。

心の傷は、体の痛みをつくる。

体の痛みもまた、心の傷をつくる。

これが、「痛みのトラウマ」なんです。

「気功心法」の立場からみれば、≪痛みと心理≫は深く関係しています。

心と体はつながっている。

体の痛みは心の痛みをつくり、心の痛みは体の痛みをつくる。


体の痛みに、心が傷つく。

たとえば、あなたがケガして、体に傷口をつくったとしましょう。

その傷口がズキンズキンして、ヒリヒリすれば、心も痛くなりません?

思うように体が動かないと、心がゆううつになりますよね。


こうして体が痛い思いをすれば、心も傷ついて行くんです。


心の傷に、体が痛む。

また、悲しいこと、いやなこと、ショックな出来事に遭遇すれば、心が傷つきますね。

心がモンモン、シクシク・・・すれば、誰だって考え込んだりして元気がなくなる。

元気がなくなれば、誰だってやる気失せて、体の動きがにぶくなり運動不足にもなる。


そうなると、腹痛やら頭痛やら腰痛やら・・・で、あっちこっち肩も凝ってきませんか?


気功心法で、「痛みのトラウマ」をコントロールする。

この体の痛みも、心の痛みも、一旦おさまった後も≪後遺症≫みたいに残ることがよくあります。

このことを、気功心法では、「痛みのトラウマ」と呼んでいる。


この「痛みのトラウマ」が、一旦心にインプットされてロックされてしまうと、

なかなか取れなくて厄介なことになる。


「またあの痛みが起きるのではないか」と、痛みを必要以上に怖れるようになり、

体験した状況を回想したり、類似した出来事にパニックを起こすこともしばしば見かける。


篠塚さんの場合は、≪体の痛み≫が主な原因で・・・→篠塚和典物語㉓へ続く

あんどうよしみ

2010年12月16日木曜日

■もっと早く「気功心法」を知っていたら・・・篠塚和典物語㉑

篠塚和典著、【ミスターがくれた19年】ベースボール・マガジン発行

    「気功心法はすごい。

       近代医学にはない神秘さ、尊厳さがある。

          もっと早く安藤先生と知り合っていたらねぇ…」


そう言えば、1995年、篠塚さんが出版した

「ミスターがくれた19年」ベースボール・マガジン発行(P188~189)で、

こんなことが書いてありました。

その意味は、もっと早く「気功心法」に出会っていたら、

ぼくの野球選手生命が延びていただろう、ということだと思う。


【6・9運命の日】の翌年、篠塚さんは引退した。

正直言って、当時私は早すぎた彼の引退が納得いかなかった。


なぜなら、気功心法を指導してきた私の立場からみれば、

腰痛があるものの、見事に「気功心法」を自分のものにした彼には

まだまだ現役続行する余裕があったはずだと判断していたからです。

もったいない、本当に残念だ、そう思ったのです。


あとでわかったのですが、それにはそれなりの理由があったようです。

彼の本の「ミスターがくれた19年」の、≪引退、そしてコーチ≫P190~191にも

書いてありますが、篠塚さんは現役続行を希望したが、当時の長嶋監督との話し合いのもとで、

若手を育てていくという監督の希望に、彼は合意してコーチに転換したそうです。


心と体はワンセット、気功心法は「心と体のバランス」を考えるメソッド。

選手は常にケガと背中合わせ、そのためのメンタルケアも重要となる。


彼なら、気功心法を生かして、若手の「心と体のバランス」をケアしていくでしょう。

指導者として大変に適任だと私も思う。それで私は納得しました。


1993年【6月9日】、金沢野球場で行われた巨人・ヤクルト戦。

その勝負の結果がどうであれ、私にはこの試合を通して、

私たちに大切な事を伝えようとしている≪運命のメッセージ≫を感じてなりません。


この試合を通して、私たち大人に、

≪心と体のバランス≫の大切さを叱咤しているのかもしれません。

また、これからの後世を守っていく使命を催促しているようにも感じた。

篠塚和典物語㉒へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年12月15日水曜日

■負けたと思い込んだ時が人生の負けだ!-篠塚和典物語⑳

人生に勝ち負けは存在しない。


数字であらわすこともない、高い低いもない。


人生は経験・体験の連続。


成功の経験体験から学び取ることがあるが、


失敗の経験体験から学び取ることもある。


ゆえに、人生に成功もなければ、失敗もない。


ただし、あなたが「負けた」と思い込んだ時、


あなたの「人生」は負けたことになるだろう。

 
どんな人生であろうと、「勝ち負け」は存在しない。

何を勝ちとするのか、何を負けと呼ぶのか、生きる価値観はそれぞれ違う。


大きな家に住んでいて、たくさんの別荘や土地をもっていて、金持ちであっても、

「人格」がなければ、人間として生きたことにはならない。

それは、単なる「守銭奴」「守財奴」にすぎない、つまり、財産を守る奴隷の意味。

または、土地、別荘の収集家だろう。


日本人は言う、「寝て一畳、立って半畳」、足ることを知る心が人間の生き方だ。


伊藤投手が悲劇な野球人生!?

さて、お話を【6・9】運命の日にもどしますが、

伊藤智仁氏、彼の野球人生は、「悲劇的だ!」

と、このような言葉で彼の野球人生を表現する書き込みが多かった。


「あれだけの天才だ、悲劇な野球人生はないでょう!」と、

私の心の中で思わず悲鳴が上がった。


「人生」は、競争じゃない、ましてや数字で優劣を表すものではない。

他人があれこれ評価して、勝ち負けのレッテルを貼るのはやめよう。


彼は、ケガの痛みを背負いながらも、高名な野球技

≪153km/hのストレートと真横に滑るような高速スライダー≫をもって、

私たちを癒し楽しませてくれたと思うのです。

野球ファンではなかった私でも凄いと思う、彼に「お疲れ様」と感謝の意を表したいと思った。

みなさんはどう思いますか?


彼の一個人の悲劇ではない、日本国の悲劇ではないでしょうか?

これだけの素晴らしい若い人材が日本にいて、なぜ選手生命を短命に終わらせたのか? 

周りの大人にも反省する点があったのではないのだろうか。


我が国の若い人材は、国の財産です。

これを使うだけ使って悲劇に終わらせるのは、国の悲劇というものです。


これを教訓にして、武道精神の「心技一体」に則り、技法ならず、

「心法」の極地を求める意味での、若者たちの「メンタルケア」に力を入れるべきだと思います。


篠塚和典物語㉑へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年12月14日火曜日

■邪気もパワーだ、でも「円環体」はできない-篠塚和典物語⑲

「気は共振する」、ゆえに気は気を呼ぶ、


正気は正気を呼び、邪気は邪気を呼ぶ。


気が集まれば、これが気のパワーだ!


邪気は攻撃性に富み、ゆえに足先が速い。


正気は守護性に富み、ゆえに足元が固まる。


「円環体」は正気に満ち、ゆえに最高の守戦法とされる。


読者からこんな質問がありましたね、

気がみなぎってくるとリラックスして潜在能力が引き出されるのでしょうか?


「気」が体内で充実すれば元気になる。

勿論です、中国医学的な解釈では、基本的に気がみなぎると血行がよくなり、

体が軽くなって元気になるという。


病気している人は、免疫力が高まり回復に向かう。

妊娠したい人は、妊娠しやすい体になる。

あなたの体が健康体であれば、体力も脳力も高まるので、

潜在能力も引き出されやすいということになるでしょう。

スポーツや武術を向上したい人は体力が必要ですね、

成績を向上したい人は脳力が必要ですね。

また、体力や脳力が強ければ、それだけ病気にかかりにくく、若くもいられるね。


「邪気」は勢いがいい、でも、自爆する性質をもつ。

ただし、「心の動き」が悪いと、潜在能力が引き出しにくくなる。

たとえ気がみなぎって潜在能力が引き出されたつもりでも、幸福にはなれない。


気は気でも、「邪気」がたくさん集まれば、パワーは出る。

「気は共振する」原理から、邪気はいずれ邪気の仲間をよぶから、

闘争になって災いを招くからです。


それだけじゃない、「邪気」は勢いが強いので、持続性がないという欠点をもつ。

ですから、勝ったつもりでも、放っておけば、いずれ勝手に消える現象をもつ、

これを「自爆」という。


「6・9」の日、篠塚さんの「円環体」は、闘争心のある時にはできません。


「円環体」は、正気がみなぎった時にできると言われています。


心と体の相互作用。

心と体はつながっている、互いに影響し合うという相互作用をもっている。

体に気が充満し元気であれば、心もそれだけ楽になれる。

逆に、風邪を引いて頭やのどが痛ければ、それだけ心もゆううつになる。

心と体のコンディションは、互いに影響し合って、原因となり結果となる、

これが心と体の「相互作用」です。


「心の動き」が悪いと、心は元気になれない。

しかし、「気」が充実しただけで、「心」が必ずしも元気になれるとは限らない。

「心の動き」が悪かったら、心は元気にはなれない。


イライラ・カリカリ・クヨクヨ・メソメソ・・・、このような心の動きは、心を病気にさせる。

また、うらむ心、にくいと思う心、不満足に思う心、つらいと思う心、妬み嫉みの心・・・なども、

「心の動き」の機能を悪くさせるのです。


自我が強くてもよくない、自分を見失ってもよくない、自信過剰もよくない、

自信なさすぎてもよくない・・・と、まぁこんな感じですね。


では、どのように、心の動きの強弱を調節すればいいのか?

あれこれ考えても心労するだけだから、とりあえず、平常心にするのが基本ですね。

篠塚和典物語⑳へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年12月13日月曜日

■野球のことなら、「野球道」をいく、【篠塚流野球塾】へ集まれ!-篠塚和典物語⑱

日本が危ない! 

日本は今、政治、経済、教育、医療・・・

あらゆる面において迷走し打開策を見いだせないまま混沌に陥っている。

そうは言っても「庶民の私たちにはどうすることもできない」なんて思いがちですが、

国民の元気があっての国ですから、国がやらないのなら、国民レベルで次の世代のためにも

みんなでよくしていきましょうよ。


まず親御さんから、精神力を高め、守りの智慧を身につける。

それでは、どうやって子供たちの心身の健全を守るか? 

それには、まず、子供の親となる世代の精神力を高めること、

守りの智慧を身につけることですね。


「温故知新」、昔の物事を吟味して、そこから新しい知識や見解を得ること。

昔の「日本武道精神」ってどんなものだったのか?

前回のお話のつづきですが、本来の真の日本武道精神を思いだしましょう。

これがわかってくると、昔の日本は本当に後世のことをよく考え、いい国だったんだな、と、

きっと誰もがそう思うだろう。

今みたいに、子供を虐待したり、殺したりするなんて、本当に考えられない。

いったい、どこで「道」を間違えたのか?

それとも、ただ迷走しているだけなのか?

事なかれせずに、みんなで行動を起こそう!


日本伝統の「武道精神」が、戦中、「戦闘精神」に変わってしまった!

本来、自分の心身健康のため、他人とのつながり、人と人との絆を結ぶための、

日本の「武道精神」が、戦中、「戦闘の精神」に変わってしまったのです。

戦争の中、武道教育は、「攻撃精神」、「必勝の信念」、「没我献身」などの言葉で語られたが、

つまり、攻めて戦う精神、必ず勝つという信念、自分を失くして国に献身する、というものでした。


「日本の武道」の本来の学校武道の良さが見失われてしまったことは

極めて憂慮すべきことだと悔やむ武道専門家も多い。

前回もこんなお話をしましたね。


では、どんな武術の種類があるのか?

たとえば、日本古来の武道の「柔道」なら、素手で相手と取り組む≪柔術≫の技法。


日本の武道の「弓道」なら、弓で矢を射る≪弓術≫の技法。

「洋弓」なら、日本の弓より小型の弓≪アーチェリー≫を使う、≪弓術≫の技法。


「剣法」なら、刀剣を振るって闘う≪剣術≫、日本の「剣道」は木刀、西洋流の「フェンシング」は、フルーレ・エペ・サーブル。


「合気道」は、柔道から出た、当て身のわざ・関節わざを主流とする。

「空手」は、空手チョップといって、沖縄から出た拳法と言われている。

「拳法」は、中国の少林寺拳法なら、こぶしで突き足でけるわざを主流とする。


狩猟・戦闘の「武術」から、心と技の一体を目ざす「武道」へ

日本の伝統文化では、「武道」とは、柔道、剣道、弓道、銃剣道、射撃道などの総称としています。

江戸時代までは「武術」と呼んでいたが、明治以後に「武道」という言葉が使われるようになった。


そもそも「武術」というのは、狩猟や戦闘の技術から発達してきたもの。

のちに、技法ならず、「心法」の極地を求めるものとなり、

精神と技術を一体と考えることが重視されるようになって「武道」として受け入れていった。


「剣道」は、人間形成をはかる武道です。

たとえば、「剣法」とは、刀剣を振るって闘う技術という意味ですが、

「撃剣の試合」というと、剣などで相手を攻めたり守ったりする剣術の競い合い。


しかし、「剣道」は、剣術を通して人間形成をはかろうとする武道とされています。


全員が必修!? こんな情報、あなた知ってますか?

「武道教育」が中学校の体育で学習指導要領の見直しが固まり、

早ければ2011年度から、2年生まで≪全員が必修≫することになるらしい。


必修となれば、ご本人の意志による選択ではなく、必ず全員が習得しなければならない、

ということですが、私は反対ですが、あなたはどう思いますか?

なぜなら、前回も言いましたように、「武術」は武器となるものです。


国の号令で若者たちに武術を習わせても、果たして礼節や公徳心が身につくのでしようか?


何も≪武術の道≫を取ることだけが、「心の道」を習得することではないだろう。


また、国家が武術精神の道と結びつけるのは、「心の道」を習得するというより、

再びあの暗い戦争の過去、国のために戦闘する精神に成変わっていくのではないだろうか?


今、時代が多様化し、選択肢が広がったはずです。

男女が何にでも挑戦できる時代に「必修」は似合わない、多くの「道」から選び取られてこそ、

「真の武道」も輝きを増すという専門家の意見も多い。。

あなたはどう思いますか?


野球道をいく、「篠塚流野球塾」をおすすめします。

自分を知る、人と人との礼節、けじめや節度などを覚えさせ、

相手とのコミュニケーションをとるのが目的なら、野球チームから学び取ったらいかがでしょうか?


気の立場からみれば、野球のキャッチボールは、お互いの「気合い」をとるには最高の手法です。

それと同時に、チームプレーから公徳心が養われるのではないでしょうか?


そこで、野球という技術ばかりでなく、医療気功法でケガからわが身を守り、

「心法」を取り入れる篠塚さんが主宰する「篠塚流野球塾」は、

まさに「野球道」をいくものだと私は思う、日本後世の心身の育成にぜひともおすすめします。

篠塚和典物語⑲へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年12月10日金曜日

■武道には「武徳」、医道には「医徳」-篠塚和典物語⑰

「武術」を習得しただけで、「武道」を修得したとは言えない。


「医術」を習得しただけで、「医道」を修得したとは言えない。


武道には「武徳」、医道には「医徳」


徳なくして道あらず、道なくして徳あらず


これが、人の心がおもむく「TAO」である。

→続き
②「武術」は技法でしかない、「武道」は武士の心の道である。

そもそも、「気」は誰でも持っている。

だから誰でも≪武術の技法≫を習得すれば、気をあやつり、

武術のスポーツ・競技などに使うことができる。

闘争・ケンカ、他を殺すことに使うことだってできる。


しかし、どんなに武術の達人になったとしても、「武徳」の心得を修得しなければ、

≪真の武道≫を修めたとは言えない。

なぜなら、武術は技法であり、技術にすぎないからだ。


③「医術」は技法でしかない、「医道」は医者の心の道である。

誰でも医学の学校に行けば、「医術」を習得することができる、医者になれる。

医者になって、肉体を切ることも、縫うことも、薬を飲ませることも、

人間の法律では許されて、病気を治癒することができ、他から尊敬を受ける。。。

でも、医術で、相手を殺してしまうこともできる。


どんなに医術の達人になったとしても、「医徳」の心得を修得しなければ、

≪真の医道≫を修めたとは言えない。

なぜなら、医術は技法であり、技術にすぎないからだ。


武術も医術も「徳」・「道」がなければ、怖い武器となる。

武術も医術も武器であり、あらゆる生命体を救い平和を守るために使うことができるが、

逆に、戦争を起こして生命を殺し、ヤミにほうむることに使うこともできるのです。

ですから、戦争兵器にならないように、人は、努力して

人間の心の「徳」を備えていかなければならないのです。


≪気をあやつる≫とは、

自分の気をコントロールして集中させて力をこめる、かつ相手の気や

場の空気を読みあやつる力のことを言う。


武術の熟練者ともなると相手を投げ倒したりすることができる。

気をあやつる達人であれば、何人もの人が束になってかかっても四方八方率いるかのように

相手を一撃で倒してしまうことができるでしょう。


「武術」を闘争・ケンカに使ってはならない。

くれぐれも忘れてはならない。「気」は誰でももっている。

あなたが好きな「武術」を選択し、その技法を身につけば、あなたにも「気」をあやつって、

武術のスポーツ・競技に生かすことができる。

しかし、闘争・ケンカに使ってはならないのです。


闘争・ケンカは、「邪気」に属する。

この「邪気」を自分に取りこんでしまうと悲劇を招くから気をつけましょう。

篠塚和典物語⑱へ続く…

あんどうよしみ

2010年12月9日木曜日

■キャッチボール、気の循環をよくする!-篠塚和典物語⑯

生きていく中、誰でも、一度は思うのだろう・・・

なぜ、自分は生まれてきたのか?

人が死んでいくのを見るたびに、誰でも、一度は思うのだろう・・・

なぜ、人は死んでいくのか?


生まれてくるからには原因がある。

それは、「生きていく」ことが目的である。

いずれ死んでいくが、これもまた、「生きていく」ことが目的である。

人は、生きていくために、生死をくりかえすものだ。


どうせ生まれてきたんだから、

どうせ死んでいくんだから、

それならば、生まれてきたわけ、死んでいくわけ、あれこれとモンモン考えること勿れ、

それより、「生きていく」、その過程、そのプロセス、その道筋を格好よくしよう。

人間として生まれたのならば、「人格」を重んずること、

それには、人間の心を活性化させる、これが人間の心が行く道筋である。

「道」とは、そういうものである。


読者からの質問

柔道の熟練者ともなると気で相手を投げ倒す?

日本の「道」のつくもので、例えば合気道でもありますね。

何人ものひとが束になってかかっても四方八方率いるかのように相手を一撃で倒してしまう。

気がみなぎってくるとリラックスして潜在能力が引き出されるのでしょうか?


「気」は、相手を倒すためのものではない。

柔道、剣道、空手・・・等々、武術の熟練者ともなれば気で相手を倒すことはできる。

勿論、拳法やレスリング、ボグシング・・・なども同じことが言える。


ここで知っておく大切なことは、「気」を集めて相手を投げ倒すことができる、

しかし、「気」は、相手を投げ倒すためのものではない、ということだ。


①「気」は、生きているものなら、誰にもある。

あなたにも私にも・・・誰にも「気」はある。 あなたの猫にも、私の犬にも・・・。

「気」とはエネルギー。私たちの体内に存在するものだし、体外にも存在している。

人と人の間に、花と石の間に、太陽と月と地球の間にも・・・気は存在する。


体内の「気」は、私たちの命を起動させ、活動させるものなので、

ゆえに「生命エネルギー」とも呼んでいる。


体内の「気」は、たえず体外の「気」と交信し循環している。


生きていくことは、気をスムーズに循環させることが大切です。

気の循環が悪いと、病気にかかりやすいだけでなく、ケガもしやすい、

人間関係も悪くなり、運命も悪くなる、災難が降りかかりやすい。


野球の名人であり、気功心法の達人である、篠塚和典さんに

「キャッチボール」を教えてもらうといいと思う。

ですから、私は、自分の体内の気の循環、人と人との間の「気」の循環を

スムーズにさせるため、ぜひとも「キャッチボール」をおすすめ致します。


野球の名人であり、気功心法の達人である篠塚さんに野球を教えてもらうのは、

≪心と体のバランス≫をはかるのに、この上なく、最高にいいタイミングだと思う。

私も気の循環向上をはかり、運動不足を解消するために、

篠塚さんの野球教室に参加する予定です。

篠塚和典物語⑰へ続く…

あんどうよしみ

2010年12月8日水曜日

■心気と技術の一体、これが真の武道だ。-篠塚和典物語⑮

「武術」は、狩猟や戦闘の技術から発達してきたもの。


「武道」は、技法ならず「心法」の極地を求め、


精神と技術を一体にする。


読者からこんな質問がありましたが、

柔道の熟練者ともなると気で相手を投げ倒す?

日本の「道」のつくもので、例えば合気道でもありますね。

何人ものひとが束になってかかっても四方八方率いるかのように相手を一撃で倒してしまう。

気がみなぎってくるとリラックスして潜在能力が引き出されるのでしょうか?


「気」とは何か? 学校の教科書では教えないこと。

大切な部分を質問をしていますので、今日から何日かに分けてここを触れてみたいと思います。

こうして、篠塚さんの「円環体」のお話をきっかけに、そもそも「気」とは何か? 

また、何のために存在しているのか? これからどのように「気」と付き合っていくか?

これらを知っておくことは、非常に生活の中で役に立ち、

いい意味であなたの人生観が変わってくると思う。


特に、あなたが日本人なら、なおさら「日本武道」の歴史、

その由来についても知ってほしいのです。

なぜなら、日本の伝統文化であり、古代の日本精神であるからだ。

私は単に、あなたが日本精神に目覚める、その手助けをしているだけです。

いわば、私は道先案内人にすぎません。


第一歩として、まず、「武道」と「武術」の違い、これを知って頂きたいのです。


「日本の武道」は、昔は≪学校武道≫といって、相手とのコミュニケーションをとるために、

≪武道教育≫を学校で行われていたそうです。

それは、自分を知る、人と人との礼節、けじめや節度などを覚えさせるのが目的でした。

「気功心法」もまた、同じ目的です。

ただ、「武道」との手法が異なる部分がある。


武道も、気功心法も、≪気をあやつる≫、この部分は同じです。


武道は、「武術」をこなし、気功心法は、「医術」をこなす。


手法は違っても、行こうとする≪道の方向性≫は同じだ。


双方とも≪自分の心身の健康≫≪他との礼節心「調和と共存」≫


をはかる、これが≪道≫です。


日本伝統の「武道精神」が戦中、「戦闘精神」に変わってしまった!

しかし、戦争の中、武道教育は「攻撃精神」、「必勝の信念」、「没我献身」

などの言葉で語られたが、つまり、攻めて戦う精神、必ず勝つという信念、

自分を失くして国に献身する、というものでした。


本来、自分の心身健康のため、他人とのつながり、人と人との絆を結ぶための、

「武道精神」が、「戦闘の精神」に変わってしまったのです。


「日本の武道」の本来の学校武道の良さが見失われてしまったことは極めて

憂慮すべきことだと悔やむ武道専門家も多い。

篠塚和典物語⑯へ続く…

あんどうよしみ

2010年12月7日火曜日

■「心気」が高まれば、あなたにも自然妊娠できる。-篠塚和典物語⑭

彼はなぜ、2度、打席をはずしたのか?

3度目、彼がバッターボックスに立った、その時だ!

篠塚さんを囲む「円環体」ができた、

彼が構えると、スイッチが入った!


もう一度よーく思い出してください、【6・9】のあの日、あの時、

篠塚さんは、2度、打席を外したね、なぜだろう?

なぜ、彼は2度もわざわざ打席をはずしたのだろうか。


その時の状況を、緊迫事態に臨んだ時の緊張感か、

プレッシャーか、という声もあった。


なぜ、篠塚さんは、2度、打席をはずしたのですか?

私は篠塚さんに直接聞きました。そうすると、彼はこう答えたのです。


「伊藤が焦っていたのか、彼のペースがかなり速くなっていた。

それでぼくは自分のペースを整えた。

心の中で伊藤に≪そのペースで来なさいよ!≫って感じでしたよ」


これを聞いて、みなさんはどう思いますか?

それぞれに自分の考えで、研究してみるといいと思う。

言うまでもないが、人は焦ると足元がくずれる。

篠塚さんは、それと逆に平常心でもって自分の姿勢を整えるために、2度打席をはずしたのです。

その結果として、自分の中心の軸にスイッチが入ったんだね。

だから「円環体」ができた。

彼は、まさに「気功心法」の達人だ!


こうして「心気」が高まれば、あなたにも自然妊娠できる。

     焦らずに、自暴自棄にならないで、

     自分を整えて、自分を信じることです。


赤ちゃんがほしいのに、なかなか妊娠につながらない。

いいと言われること、やれるだけのことすべてやった、

努力しているのにそれでもなかなか願いがかなわない。


慢性的な病気や痛みを患っている時も同じ心境だ。


誰だってそんな時は、なぜだろう・・・と、問いたくなる。

そんな気持ちが続けば、イライラしてカンシャクを起こしてしまい、憂鬱にもなる。

努力しているだけに、頑張っているからこそ、その期待も大きくなるだろう。


しかし、「焦ってはいけない!」

日々、平常心を養い、自分の姿勢を整える、そうすればほしいものは、

向こうからやってくる。

これが、「円環体」の奇跡、というものなのかもしれない。


篠塚和典物語⑮へ続く…

あんどうよしみ

2010年12月6日月曜日

■封印されたあの男の「心気」が再びよみがえる-篠塚和典物語⑬

 「ノアの箱船」は伝説です、作り話ではない。

伝えて説く必要があるから、伝説は生まれる。

いつの時代でも、伝説は時空を超えて、

邪気が立ちこめた時、再びよみがえるという。

今が、その時だ!


あたかも一度はドラゴンボールに封印された伝説、

そのエネルギーが解き放され、再びよみがえる。

天意なのか、それとも運命なのか、私が再びあの【6・9】の日に見たもの、

≪篠塚さんの「円環体」≫の出来事を語ることになるとは。


邪気が一面に立ち込めている。

それは、まるで一度はドラゴンボールに封印された篠塚さんの「心気」が、今、

再び解き放され、その心がもつパワーが、

四方八方に飛び散っていく、そんな予感がする。

そうであったらいいな、と思う。

なぜなら、今、世の中は、邪気が一面に立ち込めているからだ。


こんな乱れた世の中、そろそろみんなも痛感しているころだろう。

「Wake Up!」、さぁ、いい加減に目を覚まそう!


この邪気を制するのは、あの男だ!

そう、私が【6・9】の日、紛れもなく見てしまったもの、

≪円環体の中心に身をおいた男≫、篠塚和典さんのことです。


こんな時に、彼がユニホームを脱ぐのは偶然ではない!

もう時間がないからだろう、私は、運命の足音を感じる。


彼は、再び「心気」を武具に、「円環体の中心に身をおく」、

そして、数多くの野球小僧のたましいを救うだろう!


どんな伝説だろうと、その意味は深い。


なぜなら、伝説は人間の心を打つから、人々は≪意味が深い≫と思うからだ。


意味が深いから、人々は尊いと思い、大切なことだから、


自分の後世に伝えて説いていかなければならないと、使命に思うのです。

篠塚和典物語⑭へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年12月3日金曜日

■エネルギー体、これが「円環体」-篠塚和典物語⑫

どんなコースに投げられても、打ち返せたのだ!

古代より最高の守戦法とされてきた。


篠塚さんが≪円環体の中心に立っていた≫

なぜ、篠塚さんに円環体ができたのか、私なりにいろいろ考えてみました。


 これは私だけの解釈ですが、相手があの天才の伊藤投手だから、

篠塚さんの≪心気が一点に集中≫され、

その結果としてあの「円環体」が出来たのかもしれない。


まるで、目にみえない「気体」でできている、バリアの「円環体」。

円環体は、エネルギーのかたまりでできている「気体」です。

大きな≪エネルギー、ドーナツ≫みたいに、その人のまわりを囲む。

目には見えないから表現に苦しいのだが、命のかたまりみたいで、生きてるって感じ。

生きてるから、その人のまわりを、ぐるぐると動きまわり出す感じなんです。


で、その中に、篠塚さんがバットを構えていたということです。

それで、伊藤投手が投げてきた高速ボールを打っちゃったってわけですよ!

今でも鮮明に感じるから、あのエネルギー体のパワーって、いったい何なんだろうね。


「円環体」は、しばしば武道の世界で見られることが多い。

柔道や空手・・・、カンフー映画やサムライの映画・・・。


人間の心気がみなぎって、最高潮に達した時にできるらしい。

そうすると、四方八方囲まれたまわりのものを、次々と跳ね倒すのだ、

だから、「四方八方率いる」、と言われている。

古代中国の戦法としてよく使われてきました。


円環体とは、輪環体、トーラス、とも言う。

ドーナツ、指輪みたいな≪ワの形≫をなすもの。

その円環の中心に身をおくと、人は四方八方の「気」を

自分に取り込むことが出来ると言われている。

つまり、その円環に入れば、あちらこちら、どんな方向から攻められても

打ち返せるということです。


私は、1995年に出版した「気功心法」の本にも書きましたが、

彼は平常心そのものでバッターボックスにに立った。

その時、篠塚選手は円環の中心に身を置いていたのである。

だから、「無窮の変化」に対応できた。

つまり、どんなコースに投げられても、打ち返せたのだ。

セ・リーグ記録を塗りかえるような最高のピッチングをしていたヤクルト・伊藤投手も、

このような篠塚選手を抑え込むことは出来なかった。
篠塚和典物語⑬へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年12月2日木曜日

■気功心法、神気のわざ-篠塚和典物語⑪

篠塚さんが≪円環体の中心に立っていた≫

あの時、篠塚さんは、2度、打席を外した。

3度目に彼がバッターボックスに立った、その時です、

彼が構えた瞬間、「円環体」が出来たのだ!


もちろん、彼はその円環体の中心に身をおいていた。

私は目が丸くなって、それを見張った。

そうすると、一撃で、ボールが一直線にライト・スタンドへ飛んでいった……


で、サヨナラホームラン~となったわけなんですよ。

私は開いた口がふさがらなかった。


サヨナラホームランは、偶然ではない!

ホームランは偶然ではなかった!

だって、背筋がぞっとするほど、「神気」がみなぎっていた。

つまり、「円環体」とはそういうものなんです。

野球に興味がなかった私でも興奮した。

それ以来、私は野球はおもしろいと思うようになり、興味を持つようになった。


「神気」がみなぎり、鋭い眼力の光、軽快な身。

私は野球のことがよくわからない、でも、私は気功心法実践家ですから、

「心気」がよめるのです。

バッターボックスに立った時の篠塚さん、彼が構えた瞬間、「それ、来た!」と、

私は一瞬にして円環体の予感をするやいなや、円環体がまわりだしたのだ。

人の心がもつパワー、これが「心気」ですが、心気がみなぎるとそれが

「神気」を感じさせるのです。


人に「神気」がみなぎると、目が鋭くなって、まるで「第3の目」が光っているように見えるのです。

これを「鋭い眼力」という。

そして、こころよいまでに、身体が軽くなり、すばやい動作が取れるようになる。

カンフー映画でよくみかける、仙人のような身軽な動きのこと。

私の教室の生徒さんなら、私が言おうとするこのことがわかるでしょう。

これは≪心気≫が成せるわざなんです。

だから、サヨナラホームランは、偶然ではなかったのです。


武道を行く方なら、≪円環の中心に身をおく≫、このことがわかる。

そう言うと、何かと霊魂やら怪奇的な事柄を言われがちですが、そうじゃないんです!

武道をやっている方なら、理解して頂けると思いますが、

誰でも「心と体のバランス」を鍛錬すれば、「神気」という境地に達することができるのですね。


心と体が完璧な状態で一つになると、そこに肉眼では見えないが、自分の心身を囲む、

バリアのような、気の「円環」ができる。

その円環の中にいることを、≪円環の中心に身をおく≫、と言うのです。


「円環の中心」に身をおくと、何が起きるかって?何ができるかって?

それはまた明日の楽しみにしましょう!

篠塚和典物語⑫へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年12月1日水曜日

■人間のロマンが「心を癒し病を治す」-篠塚和典物語⑩

長嶋監督と篠塚和典の人間ロマン【6・9運命の日】

長嶋監督と篠塚和典の、「気が共振した!」

   「ここぞという時に、長嶋監督は篠塚和典にその場を託した。

    ここぞという時に、篠塚和典は長嶋監督の信頼に応えた。」


言葉はなくとも、彼たちは互いに「心の気」のテレパシーを飛ばした。

彼たちの間には、言葉で表現できないほどの、「信頼の尊さ」があったのだ。

気の世界では、これは、「正気」に属する。


≪気のキャッチボール≫

長嶋監督は、ここぞという時に、篠塚和典にボールを投げた。

篠塚和典は、これを受けとめて、長嶋監督に返した。

まさに、これは≪正気のキャッチボール≫というものだ!


本当に、感動しますよね、心打たれますよね。

だから、この試合は、ドラマチックだった、って、私は言うわけなんですよ。

まったく、≪名打者は心をも打つ!≫とはこのことだ!


まさに、ここぞという時に、ここぞという一撃、これが≪心気が成せる技≫なのです。


長嶋監督と篠塚和典の人間ロマンの物語を、こころで噛みしめよう!

長嶋監督と篠塚和典、彼たちの≪心気のキャッチボール≫は、

何もこの時が初めてではありません。

実はこの2方には、長年にわたっての≪心と心のつながり≫、

≪人と人の深い絆≫があったのです。

彼たちはお互いに引退するまで、一時も人間の心、人間の絆を忘れることなく、

球のキャッチボールならぬ、気のキャッチボールを投げ続けたのです。

まったく、あきれて口がふさがらないほど、シンプルで、太陽みたいな男たちだ!


この2冊の本、ぜひとも取り寄せて読んでほしい。

そして、こころで噛みしめて読んでごらん、私のあきれるほどの感動の気持ちがわかるから。


篠塚和典・著―「ミスターがくれた19年」 ―ベースボールマガジン社(p188~189)

長嶋茂雄・著―「ありがとう!シノ/名人・篠塚利夫」 ―恒文社発行
※のちに改名-篠塚和典

篠塚和典物語⑪へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年11月30日火曜日

■心の病のもと「こころの渇きと飢え」-篠塚和典物語⑨

「こころの渇き」、「こころの飢え」、これが≪心の病のもと≫。

なぜ、今の世の中に「心の病」が多いのか?

それは、言うまでもないでしょう、

「こころの渇き」、「こころの飢え」が、心の病の主な原因なんです。


私たち、人間は「からだ」と「こころ」で構成されている。

当たり前なことだ!と、あなたは言うかもしれない。

しかし、現代人は、こんな当たり前なことがわからなくなっているのだ。


自然の形、自然の働き、「当たり前の尊さ」を知ることだ。

太陽は今もなお、東にのぼり、西に沈む。

こんな簡単な動き、こんなシンプルな動きを、太陽は何年もそうして動いている。

その「お陰さま」で、私たちは太陽の恩恵を受けて生きている。

そんな太陽は、単純で、芸がない、バカなやつなんでしょうか?

私は、あきれて口がふさがらないほど、太陽ってやつに、本当に感動させられるのだ。


あなた「天の高さ」知ってますか?

あなたは知ってますか?太陽の高さ?

太陽の高さ、これが、「天の高さ」なのだ。

見上げれば、私たちの頭の上には天の一面。

そんな天の高さに、私たち人間は届いたと言えるのでしょうか?


「こころ」って、いったい何が食べたいのかな?

私たち人間は、「心を癒す」といって、美しいものを見て、きれいな音楽を聞いて、

おいしい物を食べて、柔らかい物をさわって、いいにおい嗅いで、こころが感動する、

感激する、気持ちがいい、と言っているが、

では、これだけ物が豊かになっても、なぜ、人間のこころが病むのか?


言うまでもない、それは、こころが食べたいもの、こころが見たいもの、こころが聞きたいもの、

こころが触りたいもの、こころが嗅ぎたいもの、こころが求めているものではないからなんです。


体が住む世界と、心が住んでいる世界は違うのだ。

体の「五感」が求めているものを、あなたがどんなに満たしてあげても、それは体のこと。

心が求めているを、与えてあげないと、心は満たされないのです。

心が満たされなければ、これが「こころの渇き」、「こころの飢え」なのだ。

心の病は、そうして起きるのです。


気の世界では、「気が共振する」という原理がある。

≪正気は正気と共振する≫、≪邪気は邪気と共振する≫。

互いに気が共振すると、盛んに気が循環し、パワーアップするのです。

「類はともを呼ぶ」ってよく言うでしょう、それみたいなものなんですね。


昨日も言いました、「長嶋監督と篠塚和典の気が共振した!」の話。

1993年6月9日、金沢野球場で行われた巨人・ヤクルト戦にて、

伊藤投手×篠塚選手のエピソードもおもしろいが、それは、表舞台の側面だ。

しかし、「気功心法」実践者の私には、何よりもおもしろかったのは、その裏舞台側にある、

人間のロマンの物語だ!


こころが食べたいもの、それは「人間のロマン」だ!

こころが求めているもの、こころが食べたいもの、

それは紛れもなく「人間のロマン」だと私は思う。

篠塚さんが心身ともに≪ピンチだ!≫という時、時間がないと焦っていた彼に、

私が彼に刺激したのは、「人間ロマン」の物語だ!

これも「気功心法」のテクニックの一つです。

気功心法のファンにも、楽しんで頂きたいと思い、篠塚物語を書いたわけであります。


では、気功心法の立場からみれば、「長嶋監督と篠塚和典の気が共振した!」とは、

どんなことなのか、どんな意味なのか、それはまた明日・・・


篠塚和典物語⑩へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年11月29日月曜日

■長嶋監督と篠塚和典の「気が共振した!」-篠塚和典物語⑧

ついこの間、篠塚さんは試合中に腰の痛みが原因でタンカーで運ばれたばかりだ。

その直後に彼は私の所に来たのですが、1993年の【6・9】のこの日、

彼は復帰したばかりだったんです。

こんな緊迫の時に、そんな腰痛から復帰したばかりの篠塚さんが!?と、

恐らく巨人ファンの皆さんはハラハラしていたでしょう。

しかし、あの長嶋監督の戦略で決めたことだから、ファンのみなさんも息を飲んで

その行方を見守っていた。

そんな時だった。


観戦客は「ワー」と、私は「あぜん・・」と、双方ともに開いた口がふさがらなかった。

篠塚さんは、2度、打席を外し、一撃でサヨナラホームランを打ったのだ!

これと同時に、観戦席に「ワー」、とすごい歓声が湧きあがって止まなかった!

観戦客の皆さんは、「ワー」と、開いた口がふさがらないほど、

言葉にならない感動の場面だったでしょう!

私は、「あぜん・・・」と、あきれて言葉にならないほど、感動させられたのです。


長嶋監督と篠塚和典の「気が共振した!」

篠塚さんが、これぞ「プロ」とうならせてしまうサヨナラホームランを打ったことはすごいと思う。

それはそれで今までの経緯からみれば、十分すぎるほどこの一撃で

彼は野球ファンの心をも打って、ファンの心の情熱をわき立たせたことでしょう。

しかし、これは≪華やかな表舞台の側面≫にすぎない。


私が「あぜん・・」と、あきれてしまうほど感動したのは、もう一つの≪裏舞台側≫だ。

つまり、陰で支える「お陰さま」、という存在のことなのです。

それは、長嶋監督と篠塚和典の「気が共振した!」、ということなのだ!


長嶋監督と篠塚和典との長年にわたっての、≪心と心のつながり≫

≪人と人の絆≫を見せつけられたのです。


表舞台の側面が、≪からだ・技術の武器≫ならば、

裏舞台の側面が、≪こころ・心気の武器≫なのでしょう。


まさに、ここぞという時に、ここぞという一撃、これが≪心気が成せる技≫なのです。


篠塚和典物語⑨へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年11月28日日曜日

■150球目の悲劇-篠塚和典物語⑦

どんな試合だったのか、もう一度検証してみましょう。

【6・9】1993年(平5) 高速スライダーで16K 伊藤智仁、悲劇は150球目

グーグルで検索すると、こんなタイトルが出てくる。

1993年6月9日、皇太子さまと雅子さまの結婚の儀が行われた。

そして、この日の夜、金沢野球場で巨人・ヤクルト戦が行われたのです。

球場に2万5000人の観衆が集まり、野球戦の勝負の行方よりも、

伊藤投手の快投に観衆が注目していた。

伊藤智仁氏は、プロ野球ファンの間で伝説として語り注がれて、天才投手として知られている。

この日、伊藤投手にリーグタイ記録の16奪三振の栄光が目前に迫っていた。

しかし、腰痛で復帰したばかりの篠塚さんにサヨナラホームランで破られたのです。


伊藤投手に悲劇の150球目とは?

その時の様子を評論家のコメントから抜粋してみました。

もっと知りたい人は、検索してみてください。

また、動画もありますのでぜひともご覧になってください。

・・・・伊藤智仁を人々の記憶に刻み込んだのは、6月9日の対巨人戦(石川県立野球場)であったろう。この日の伊藤の投球は一段と冴え渡り、5回までに早くも12奪三振。それからペースは落ちたものの、9回2死の時点で当時の最多奪三振記録17に迫る16個をマーク。しかも、ここまで巨人をノー・ヒットに押さえていたのである。ところが、テレビを見ながら何ともヤキモキさせられたことには、ヤクルトのほうも僅か一点を取ることが出来ない。こうして試合は、0対0のまま延長戦へ突入するかに思われた。
ここで打席に入ったのは、晩年(引退の前年)の域に達していた巨人・篠塚。
この日も途中出場だった篠塚は、二度、打席を外し、伊藤の気勢を殺ぐと初球を強振、打球は一直線にライト・スタンドへ……サヨナラホームラン。
気持ち良く投げていた伊藤が、初めて投げ急いだのがこの日の150球目だった。
目前に迫っていたリーグタイ記録の16奪三振の栄光からまさに一転、奈落の底、伊藤は敗戦投手となったのである。

ついこの間まで、篠塚さんは試合中に腰痛がさく裂し、タンカーで運ばれた。

その直後に私の所に来たのですが、この日も、復帰したばかりで、

誰もがこんな時に、なぜ篠塚さんが!?と、巨人ファンのみなさんはハラハラしていたでしょう。

しかし、あの長嶋監督の戦略で決めたことだから、

ファンのみなさんも息を飲んで目を見張っていた。


篠塚さんは、2度、打席を外し、一撃でサヨナラホームランを打ったのだ。

私には、長嶋監督と篠塚さんの、「気が共振した!」としか思えないほどの

ドラマチックな試合となったのです。

篠塚和典物語⑧つづく

あんどうよしみ

2010年11月27日土曜日

■心の武器×体の武器【6・9運命の足音】-篠塚和典物語⑥

心と体のバランスが大切だ。

頭でわかっているが、具体的に何をすれば、どうすればいいのか、

考えれば考えるほどわからなくなると、私の生徒さんはよく言います。

ですから、私はよく言うんです、頭で考えることではない。

まず、「気功心法」の概念を知っておくのです。

バランスとは、半分半分じゃない、右が50%、左が50%のつりあいじゃない、

バランスとは、≪全体≫のことなんですよ。

つまり、心と体のバランスとは、≪全体の循環≫をはかることなんですよ。


体力や技術があっても、心焦ってイライラすれば破られる。

仮に、あなたが、どんなに体力があっても、どんなに技術があっても、

心が焦って、イライラ、カリカリすれば、足が取られる。

足が取られると、足元がくずれる。

足元がくずれると、ケガのもと。

そうなると、全体のバランスがくずれませんか?

ですから、どんなに技術があろうと完全なものにはなりにくい。

スポーツの対戦なら、すきをつかれ、破れて敗戦する。

物づくりなら、心がここにあらずして、欠陥品をつくってしまい、

お客さんが危険な目に遭ってしまう。


心が健全でも、体力なければ病気にかかりやすい。

逆に、心に悩みや苦しみがなく健全でいても、体力がなければ

風邪にかかりやすく病気になりませんか?

ですから、心と体は、血行みたいに循環をよくはからないとうまくいかないのです。


これが、心と体のバランス、「気功心法の概念」なんです。

篠塚さんは、よくこのことを把握していたんですね。

だから、あの天才投手の伊藤智仁氏の高速変化球を抑え込むことに成功したのです。


伊藤が高速スライダーを武器にしたのなら、篠塚は、「心の気」を武器にした。

どんな試合だったのか、もう一度検証することにしましょう。


篠塚和典物語⑦つづく

あんどうよしみ

2010年11月26日金曜日

■運命の足音【篠塚×伊藤、6・9運命の日】-篠塚和典物語⑤

【篠塚×伊藤、6・9運命の日】

もし、あなたがプロ野球のファン、または、気功心法の研究、運命学の研究をしている方なら、

ぜひとも【篠塚×伊藤、6・9運命の日】、この運命のお話を聞いてほしい。

もちろん、そうでない方、ただ興味があるだけでもいい、聞いてほしいのです。


運命の足音

今、めまぐるしく世の中が変化しているね、

それに対応できない人たちが心や体を壊して苦しんでいるようです。

でも、心配することはありません。

なぜなら、これらの変化は、≪新しき時代を迎える≫ための準備段階だからです。

今に、人類がかつて経験したことのない、見たことがない、

そんな新しいシステムの時代を私たちは迎えようとしています。

「人としての道」に反せず、「人と人との絆」を大切にして来た人たちには、

よき時代となるから、心配せずに、心と体を養生しておきましょう。

運命の日が刻々と、「その時」がそこまでやってきてますよ。

【篠塚×伊藤、6・9運命の日】が、その足音です。


誰だって≪このままがいい≫、変化なんかいやです!

誰だって、今がよければ、今のままがいい。

今が決していいとは思わなくても、これ以上悪くなるのを恐れ不安に思う。

今が悪い状態、なんとか変えたい、そう思ってもなかなか変えられない。

環境の変化は、なかなか受け入れられるものではない、いやですよね。


赤ちゃんも、ママのおなかの中、≪このままがいい≫!

でも、赤ちゃんだって、生まれてくる時は顔を真っ赤にして、オギャーオギャーと苦しそうに泣く。

それは、ママのおなかの環境から、新しい環境に変わるから、いやなのね。

赤ちゃんだって、やっと慣れたママのおなかの中の方がいい、それに居心地がいいのかしらね。

でも、自然の法則に従い、赤ちゃんも生きていかなければならない運命。

赤ちゃんでも、≪新しき人生≫を迎えるためには、変化は避けられないのですね。


「変化」がないと、人は「成長」しないのですよ。

変化=成長、これが、自然の摂理なんです。

成長しなければ、それは「不育症」になり、運命学では「死」を意味すると教えている。


「不育症」を起こすと、流産するんですよ。

ママのおなかにいても、変化はたえず続けられている。

変化しないと成長しない。成長しないからこれが「不育症」だ。

そうなると、生きていけなくなって、死んでしまうのです。

だから、変化を恐れないことだ!


どんな人生だって、あらゆる環境の変化がおきる、これは避けられない運命なんです。

でも、どんな残酷な環境の変化でも、その変化に対する順応する力、適応する力、

対応する力があればいい。恐れることはない。


【篠塚×伊藤、6・9運命の日】、このエピソードが、

「変化×対応」の力を身につけるヒントとなるのではないでしょうか。

私が、このエピソードをお話することで、あなたの役にたてれば幸いです。


篠塚和典物語⑥つづく

あんどうよしみ

2010年11月25日木曜日

■伊藤投手は凄い!【6・9運命の日】-篠塚和典の物語④

昨日のつづき。

では、伊藤智仁投手の凄さとは何なのか?野球をよく知らない人のために、

ウィキペディア・フリー百科事典からそのまま一部を転写しましたのでご覧になってください。

また、もっと知りたい人は、ウィキペディア・フリー百科事典の記事を読んでください。

最速153km/hのストレートと真横に滑るような高速スライダーが武器。

実働期間こそ短かったもののその実力は非常に高く評価されており、全盛期に伊藤の球を受けていた捕手の古田敦也は「あの高速スライダーは捕手だからなんとか捕球出来ているが、もし自分が打者だったら絶対に打てない」と賞し、プロ野球評論家の青田昇は「プロ野球史上で本当のスライダーを投げたのは、藤本英雄、稲尾和久、伊藤智仁の三人だけ」と評価し、そして当時の監督だった野村克也をして「長いこと監督をやってきたけど、あいつがNo.1だよ」(フルタの方程式7月号にて)と言わしめた。

1993年6月9日の石川県立球場での巨人戦、8回まで無失点、さらに当時のセリーグタイ記録である16奪三振をあげるが味方の援護もなく0-0のまま迎えた9回裏、篠塚和典にソロホームランを打たれサヨナラ負けを喫する。この後悔しさのあまり自軍ベンチに向かって自分のグラブを投げつけたことについて、ルーキーらしからぬ態度だと非難する声が上がる一方、それぐらい悔しがっていいと擁護する声もあった。なお「負け試合における」1試合16奪三振はこのケースが初めてである。

デビュー以後はひじの痛みと肩の故障に苦しみ、一転して悲劇の野球人生を歩むも、

プロ野球史上ナンバー1の最速投手との呼び声も高く、未だその圧倒な投球は、

プロ野球ファンの間で伝説として語り継がれている。


と、このようなコメントも多く、動画もたくさんあるので、知らないという人はぜひとも

一度ご覧になってください。


凄い凄いとは聞いていたが、こんなに凄いとは知りませんでした。

私は、改めて伊藤投手の天才ぶりに感動したものの、その華かな一面の影に、

彼もまた、篠塚さんと同じく、酷く体の痛み(ひじの痛みや肩の故障)に

苦悩されていたことを初めて知りました。

その心の葛藤を思うと、気が共振したのか、本当に無念で、

とてつもなく切ない気持に陥りました。


悲劇的な野球人生!?

しかし、彼は悲劇的な野球人生だという書き込みも多い。

「あれだけの天才が悲劇な野球人生はないでしょう!」

と、私の心の中で思わず悲鳴が上がった。


これだけ素晴らしい若い人材が日本にいて、なぜ選手生命が短命に終わったのか、

実にもったいない、まことに遺憾な話だ!



                             篠塚和典⑤つづく

あんどうよしみ


2010年11月24日水曜日

■運命の日【6・9】エピソード-篠塚和典の物語③

めまぐるしく「変化」する時代に、「対応」する力を養おう。

今の世の中、めまぐるしく変化していますね。

社会が変化すれば、当然私たちの生活にも影響を及ぼします。

また、人は、環境や人間関係の変化に対して、順応する、適応するまでには、

それなりの時間がかかります。

その時、人の≪心と体≫は不安定になりやすい。

なかなか慣れない人はストレスになりますね。


「変化×対応」の時代ですよ。

たまに変化もいいだろう。

しかし、変化がひんぱんであったり、急な変化、強すぎる変化に、人はなかなか耐えられません。

これを波乱万丈と人はいう。

ですから、めまぐるしく変化する世の中に応じる力の、

≪対応の力、応用の力≫を身につけておきたいものですね。

あなたの、≪対応の力、応用の力≫は、いかほどですか?

これから、この「変化×対応」にまつわる篠塚和典のあるエピソードを紹介したいと思う。


【6・9】エピソードは、有名な野球物語ですよ。

1993年6月9日、金沢野球場で行われた巨人・ヤクルト戦に起きた出来事ですが、

元巨人軍の野球名選手・篠塚和典×元ヤクルト天才投手・伊藤智仁のお話。

このエピソードを通じて、いかに伊藤投手は「変化球」を投げる名人か、

いかに篠塚選手はそれに「対応」した名人かを知ってほしい。


この2人の名人だから、こんなエピソードがある。

この2人だからこそ、「変化×対応」がこんな形で見れる、ここがおもしろい。

また、ここから学ぶものも多いので、最後まで読んでほしい。


二人は運命にして、私たちに多様化していく時代、

この変化期を生き抜くヒントを教えてくれているのかもしれない。


日本の歴史に刻まれる、運命の日「6・9」

1993年6月9日、皇太子さまと雅子さまの結婚の儀が行われた。

成婚パレードの沿道には約19万人が集まり、そのテレビ中継の最高視聴率は

79.9%を記録したという。

この日は、休日とする法律が制定されて休日となった。


語り継がれる日本の男たち-名人・篠塚和典×名人・伊藤智仁

この日の夜、金沢野球場で行われた巨人・ヤクルト戦もまたドラマチックであった。

球場に2万5000人の観衆が集まり、野球戦の勝負の行方よりも、

1人の投手の快投に観衆が注目していた。


「変化球」をなげる、バケモノみたいな投手??

その投手とは、元ヤクルト・伊藤智仁投手、当時24歳。

彼は天才投手だそうです。

最速153km/hのストレートと真横に滑るような高速スライダーが武器。


しかし、正直言って、私には野球のことがよくわかない。

スライダーの意味すら知らないのに、いきなり「高速スライダー」だなんて言われても、

「それ何?」って感じでした。

つまり、高速の変化球だそうですね。


腰痛から復帰したばかりの名選手―篠塚和典

当時、私は篠塚さんの腰痛で、≪内気功とメンタル(気功心法)≫を指導している関係上、

篠塚さんが出る試合には、いつも篠塚ファミリーと一緒に球場にいって観戦するか、

テレビで見るか、そうして篠塚さんの腰の様子を見守っていた。この日も例外ではなかった。


「伊藤は、バケモノなのか?」と、世間でそう騒がれているほどの天才投手だ!

私は周りの人にそう聞かされた。

とにかく、彼が投げたストレートの球と鋭いスライダーは目を見張るものがある。

相手のチームの伊藤投手は、何やら凄い男らしい。


「そんな凄い男、篠塚さんの腰大丈夫かな…」と、私は篠塚さんの腰が心配だった。


篠塚和典物語④つづく

あんどうよしみ

2010年11月19日金曜日

■名打者は人の心をも打つ!-篠塚和典の物語②

プロのスポーツ選手に、体と心の「痛み」はやまない。

スポーツは、人と人のコミュニケーションをとるため、

または自分の健康のため、または趣味として楽しむ分には、最高のものだ。

しかし、それをプロとしてやっていくには、かなり体を痛みつけることになり、

体を過労させてしまい、あらゆる体の痛みや

心の病を招いてしまうことは、言うまでもないでしょう。

プロ野球選手、プロサッカー選手、プロゴルファー、マラソンやボクシング…等々、

みんなもテレビで見ていて知っていると思うが、

彼たちは日々酷な技術の鍛錬が課せられケガは免れないのです。

一般の方なら、ケガすれば休めばよくなっていく。しかし、彼たちはそうは行かないのです。

一つのケガが持つ痛みがまだ治まらないうちに、さらなるケガの痛みが重なっていく。

それでは治る時がないというのです。しかし、これが彼たちの宿命というものなのかもしれない。


何が悲しくてそんなつらいことをするの?

テレビや雑誌では、彼たちの華やかな姿が映っている、しかし、

傍で見るほど彼たちは華やかな姿だけではないのだ。

「そのぐらいのことなら、誰でも知ってるよ」と、あなたは言うかもしれない。

いいえ、頭でそうわかっていても、現場を見ないとわからないと思う。

そのもう一方で≪奮闘する体と葛藤する心≫の凄まじい光景は

本当に普通の心境では見ていられない。

そのつらさや苦しみは、ご本人やご家族、

その周りのお世話係りの者にしかわからないものがある。

ウォーキングしかやらない私には、何が悲しくて

そんなつらいことをやるのかな、と思ってしまうのです。


篠塚和典は、プロの精神(心)、スポーツの魂を教えてくれた。

しかし、プロというものの、プロの精神、スポーツの魂、その根性を私に教えてくれたのが、

紛れもなく、篠塚和典というプロ野球の名打者だ!


彼の持病である「脊椎分離症」の腰痛を治すために、私は彼に「気功心法」を教えた。

彼は、見事に短期間で「痛み」を克服して復帰し、その直後に劇的な歴史に残すような、

さようならホームランを打った。

その日、日本列島は、昼は皇太子ご成婚のパレードにわき、

夜は彼のこれぞプロとうならせてしまうさようならホームランでわいた。


テレビでは、そんな華やかな彼の姿が映っていたでしょう。

しかし、私には彼のそれまでの、もがくような体の痛みと凄まじい心との戦いを知っていた。


「気功心法」は、痛みを克服し、精神力を高める技。

「気功心法」の気功とは、パフォーマンスのような気功ではない、大変地味な「医療気功」です。

だから、体の「痛み」には効果的だったのかもしれない。

しかし、おさまった痛みは、おとなしくして、しばらく休みをとって療養しなければ、

すぐにまた「痛み」が出てくるものです。

ご存じのように、現役のプロ選手には、ケガをゆっくり

のんびりと療養して休む時間がないのです。

それならば、「心法」で精神力を高めていって、「痛み」を自分でコントロールし、

超越するしかないのです。


そう言っても、「心法」は、心のメンタルケアなので、気功法と違って、

目に見えるような動作の鍛錬方法ではない。

だから「心法」というものは、なかなかそううまく相手に伝えられないものですし、その上、

自分で養生して自分でケアをしていく、自分でコントロールできるようになるまでには、

それなりの時間がかかる。


しかし、彼は、さりげな私のそんな心配を吹っ飛ばしてくれた。

私は、あきれるほど彼のプロ精神に「感動」した。


そういうわけで、彼がいかに、「名打者は人の心をも打つ!」者であると、私は言ったわけなんです。


あんどうよしみ

2010年11月18日木曜日

■気功心法で「痛み」を克服-篠塚和典の物語①

誰でも、体の痛みは我慢できない

体が病めば、心も病んでいく。

特に、体の痛みは、本当に我慢できないものなんですね。

体の「痛み」、いろんな痛みがあるんでしょうけど、誰でも一度はこんなつらさを

体験していると思う。

体が痛みを感じれば、心もつられて、「つらい」と感じるのです。

仮に、あなたが転んでヒザを打った時、或いは、ナイフで手を切ってしまった時、

そんな時、瞬間に激しい痛みが走るでしょう。

それと同時に、心もギュッとしめつけられたみたいに、

「あ~、いったい」と、何とも言い様がない状態に陥る。


「痛み」があっては、人は「人格」がなくなる
-兵頭正義教授の言葉。

どんなに、人の体や内臓の形に欠陥がなく、疾患がなく整っていても、

そこに「痛み」が生じれば、その人の心に安らぎがなくなってしまう。

だから、「痛み」をとってあげないと、「痛み」があっては、人は「人格」がなくなる。

「痛み」は、医療の原点である。

そう言ったのは、ペインクリニックという学問の草分け的存在であり、

日本における痛み治療の最高の権威者、大阪医大の兵頭正義教授である。


痛みにも、いろんな「痛み」がある。

たとえば、チクチク、ヒリヒリ、ジリジリ…と痛い。

まるでハリが体を刺しているような、火あぶりされているような、そんな痛み。

ガンガン、ズンズン、ドクンドクン…と痛い。

まるで外からハンマーで叩かれているような痛み、中で爆弾をかかえているような痛み、

重い石がのっているような圧迫の痛み。

どれだけ痛いのか、どのような痛みなのか、血圧測定器で血圧の数字を測るみたいに、

「痛み」は測定して数字に表すことができない。

だから、医者は患者が訴える言葉が頼りですね。


「痛み」は、医療の原点である-兵頭正義教授の言葉。

仮に、あなたが、「痛い、痛い、死にそうに痛いです!」と訴えれば、

傷口がなく内的な器官も問題がなければ、それだけ医者もたくさんの鎮痛剤を出すでしょう。

また、あなたが「痛い、痛い」って騒げば、医者は落ち着いて診察ができない。

だからひとまず痛みを鎮静させてから、ゆっくりと診察していくでしょう。

そういうわけで、兵頭正義教授は、「痛み」は医療の原点であると、言ったわけなんです。

つまり、体が痛い痛いでは心も痛い、そのような人に

「我慢しろ、騒ぐな、静かにしろ!」と言う方が無理があるでしょう。

ですから、「痛み」があっては、誰だってそんな時は「人格」がなくなる、

と兵頭正義教授がそう言いました。

痛みはそれほど、人の心をパニックにさせ、ゆううつにさせてしまうのものだからですね。


出口のないトンネル、慢性的な痛みは、本当につらい!

ケガや切り傷の痛みの場合は、傷口が治れば痛みもいずれ治まっていくでしょう。

しかし、慢性的な内臓疾患の痛み、或いは、

脊椎分離症(脊椎の上下の関節突起の間が切れたもの)などの症状は、

腰痛や足のしびれが伴い、そのゆううつさや煩わしさ、つらさなどは、

患った経験のない人にはわからないでしょう。

それはまるで、出口のないトンネル、終わりのないマラソンに立たされた思いで、

患者たちの心も日々そんな痛みに蝕まれていくのです。

そうして彼たちは、身も心もボロボロだ、と訴えるのです。


痛みについて話す時、篠塚和典の物語を語らずには始らない。

これから、体の「痛み」について触れていきたいと思いますが、

そんな時、私はある方の物語を語らずにはいられないのです。

その方とは、「篠塚和典」、彼は日本プロ野球界の歴史に名を残した名選手だ。

また、私が提唱した「気功心法」を実践し、見事に自分のものにした一人でもある。


篠塚和典、彼が現役時代に「脊椎分離症」の持病に悩まされていたことは有名なお話。

試合中にタンカーで運ばれたこともあるほど、彼の症状はかなりひどいものだった。

専門医によれば、「まず、選手をやめることだ」。

つまり、選手生命には致命的な症状であったということです。

言うまでもないが、彼には使命感や責任感が強く、そう言われたからと言って、

「はい、やめます」なんて、そういうわけにはいかなかった。

彼がどのように「気功心法」を駆使していったか、それは明日以降からのお楽しみ。

とり急ぎここで、彼は自分の痛みを克服しただけでなく、人の心をも感動させる、

≪気功心法の達人≫でもある「名打者は人の心をも打つ!」

ということをお伝えしておきましょう!



あんどうよしみ

2010年11月17日水曜日

■なぜ心病むの?人生の幸不幸、誰が決めるの?

「心の病」、今に日本中で流行すると警告した!

光陰は矢の如し、私が「気功心法」 を出版したのは1995年、あれからもう15年。

本の内容は、私個人の「生き地獄体験」から、いずれこんなことが日本中で流行するだろうと

いやな予感がして、みんなにその危機を呼びかけたものです。

その危機とは、「心の病」だ! そこが、生き地獄だ!


姿を現さない、巨大な≪お金オバケ≫!
お金は「人格」さえ買えるの!?

時代はバブル、実力もなければ、その実態もないお金制度、

その印刷札束が泡のようにブグブグと膨れ上がっていった。

お金というオバケだ!

お金さえあれば何でも手に入る、あたかも「人格」さえ買える、そんな風潮だ。

お金は、あらゆる災難から自分を守ってくれる、身の安全を確保してくれる、

お金は、自分の心の平安も得られる、他人の心さえも買える。

笑いが止まらないほど、印刷束は大人の間で大人気だった。

親は自分の幼い子に言う、「あの方すごいのよ、すごいお金持ちなのよ」

「大きな家に住んでるのよ、高級車に乗ってる」「あっちこっちで別荘を持っている」

お金がたくさんある人は、実に偉いお方だ!

お金がたくさんある人も、自分が実に偉いお方だ、と思っているみぶりをしていた。

はだかの王様が、あっちこっちで、溢れていた。


怠けた生き方、そのつけは、今自分に返還される。

≪類はともを呼ぶ≫というように、「気は共振する」、と、私は警告した。

みんながそういうのりだったから、感染症のように日本中に広がっていった。

社会の大人がそうだから、子供も育たない、荒れるのは当たり前だ。

なぜなら、大人が夢中になっているのは、お金だ、子供の顔を見てないからだ。

子供は産んでも、ちゃんと顔を見て育てなければ、子供は育たない。

今、その幼い子供たちが30歳を迎えようとしている。

大人たちの怠けた生き方、そのつけは、自分に返還されるだろう。

これは、「因果の法則」という、自然法則なのです。

私は罵っているのではない、諭しているわけでもない、

人間の礼儀として他に危険を知らせる、警告しているだけです。


心を見失うと「心の病」に侵される。

私は、28歳という若さで、ある日突然右目が見えなくなった。

10日間の入院検査を受け、日本一と言われた専門の医師に診察してもらった。

結果は「黄斑変性症」と診断された。

検査では、視神経がつぶされているのは明白。

しかし、医師には、つぶれている原因がわからない。治療の手立てもない。

私は、この病気は≪治った前例がない≫と言われ、失明の宣告を受けた。

≪病気は医者が治すものだ≫、そう大人やまわりの人たちに刷り込まれていた。

自分もそうだと思い込んでいた。

ですから、私は医師に見放されたと思いこみ、心身ともに生き地獄に陥った。


「医師の医徳」が、気功心法へと私を導いてくれた。

治療の手立てはないが、とりあえず、意味もなく副作用の強い薬をすすめられた。

退院する日、医師は、薬がもたらす恐ろしい副作用をよく私に説明してくれた。

今、私はこの医師の≪医師としての義務≫を果たしてくれたことに感謝している。

この医師は、薬を出しっぱなしにしなかった。検査任せにしなかった。

親身になってよく診察をしてくれたこと。病気の原因をあれこれと探して研究してくれたこと。

何よりも、大切な薬の恐ろしい副作用を説明してくれたことです。

医師は、「あなたの病気は治らない」とは言わなかった。

「僕には治せない」と正直に言ってくれた。

もし、薬の恐ろしい副作用の説明がなかったら、私はその恐ろしさに気づかず、

セキュリティしなかったでしょう。

私は努力して薬をやめた、その替わりに「気功心法」で自分の心と体を養生した。

これもあの時の医師のおかげ様です。

結果的に、自分の養生が奇跡をもたらしたのです。


体の生き地獄とは、薬の副作用だ!
体のつらい症状

2週間飲んだだけで、医師の説明の通り、薬の恐ろしい副作用が私を襲いかかった。

ほかの身体の機能までがやられて、普通の生活を送ることができなかった。

顔が白鬼のように膨らんで、髪の毛がまっ白になっていく。

体の温度が自分で自制できない、急に熱くなってほてる、急に冷えて悪寒がする。

アレルギーに似た症状で、体中が細かい針に刺されているようなチクチク感、

そうすると死ぬほど痒くなる。

ちょっとした段差でつまずくようになり、歩くのが怖くなる。

心臓がパクパクして、えぐり取られるみたいだ。

日々の生活の中で、思うように体がコントロールできないって、

こんなにつらいことなんだと、つくづく思い知らされました。

いっそうのこと死んだ方がましだと何度もそう思いました。


生き地獄の中継

地獄に閉じ込められた思いだ、まったく自分の意志が許されない。

今日は、閻魔大王に何の刑が下されるのかな…、

どんなつらい症状になるのかな、鍋に入れられる日かな、

それとも氷山に放置される日なのかな、針の山の刑かな、

それとも無数の虫に食われるのかな…。

これが私が体験した生き地獄、その中継です。

だから、私には、病気する人のつらさが身に染みるほどわかるのです。

体が病めば、心も病む。

言うまでもないだろう、心も体と同様、地獄ゆきなんですよ。


「最高の名医は自分であり、最高の妙薬は体内にある。」
気功心法の理念は、こうして生まれたのです。


こんなに不幸な人っているの?こんなに呪われた人っているの?

私は、死ぬことができなかった。だから、生き続けることを決心した。

お金は、私の目を買い戻すことはできない。

どんな最高の専門職業の人にお金や札束を積んだ所で、私の目玉は買えない。

私は、お金で高級車のベンツを買ったが、でも、その車を自分で運転して楽しめない。

私は、子供を産んだが、でも、その子の顔が見えなくなり、抱きしめることができない。

こんなになってしまって、こんなにみじめな人、こんなに不幸な人、

こんなに呪われた人、こんなに神から祝福されない人って、

ほかにはいないだろう、と、そう私は思った。

今、そう思いだしただけでも、涙が出てくる。


こんなに楽しい人生ってあるの?こんなに神から祝福された人っているの?

私はすべてを失ったと思っていた。

しかし、今に思えば、私が失ったのは、≪自分がつくりだした自我≫だ!

おかげ様で、私は天に与えられた能力に気づいた。

「天の覚醒」だ。つまり、お天とう様に気づき、気が共振した!感謝の心が蘇ったのだ。

私は、まだまだ、天に与えられた能力の1%も生かしていない。これに悟ったのです。

片目がなくても、もう片目がある。両目がなくても耳がある、口もある。五体もある。

ほかにもまだまだ沢山ある。

以来、≪自分に「ある」を数えた≫。≪自分に「ない」ものは数えない≫ことにした。

日々天に手を合わせて「ある」ことを感謝した。


私は、こう発想の転換をした。

日々生活の中で、≪自分にないものを悔やむ≫より、
日々生活の中で、≪神からの贈り物に感謝する≫ことを実践した。

そうしたら、私は、まるで生まれ変わった!


人生の、幸不幸、誰が決めるの?

お金?職業?地位?それとも、あなたのお母さん?あなたのお父さん?

気功心法の理念、信じる信じないは、あなたの自由。

これだけは、今の世間様に言いたい、

私たちの住む空間は、「天人地合一」にある。この法則を無視して、

天に唾を吐くもんなら、今にその唾が自分に倍となってかぶるだろう、

地を見下すもんなら、今に足元を取られるだろう、

人の心を失えば、今に≪人の道≫を失くすだろう。

そういう者は、≪バケモノの道≫をゆくであろう。

お金を拝み、職業を拝み、地位を拝み、偶像を拝んでも、ご利益は生まれない。

今に人は知るだろう、「その時」が来たからだ!


あんどうよしみ

2010年11月15日月曜日

■心は天国をつくり地獄をつくる

気功心法の言葉―「心は、天国をつくり、地獄をつくる。」

生きながら心が地獄を味わう、これが「生き地獄」なのだ!

私は、人の生前の行いが悪いと、死んでから「地獄」ゆき、そう思っていた。

しかし、私は死んでからではなく、生きながらに人の心は天国をつくり地獄をつくる

ということを体験した。


1995年、私はこの体験を「気功心法」というタイトルで本に収めました。

そして日本文化出版社で出させて頂きました。

本は売り切れてずいぶん前に絶版となり、残念ながら再版の予定はありません。

最近、インターネットで中古書店の販売のおかげで、この「気功心法の本」が再燃し、

私のもとに読者のお手紙が届き、今でも枕もとに置かれ愛読されているようで本当に光栄です。

有難うございました!


また、先日、体調を崩され、ずいぶん前に買った「気功心法」を読み返してくれている読者から

メッセージが届きましたので、ここで私のメッセージを送りたいと思います。

お役に立てれば幸いです。


「病気しても、病人になるな!」

もし、あなたが重い病気なら、この言葉を自分に言い聞かせてあげてください。

「病気」は体の病、「病人」は心の病なんです。

これが、病気で苦しんでいる人たちへの「心法」です!

病気はしているが、病気を≪苦に思うな≫、という心がけです。

苦に思ってしまうと、これが病人になってしまう、ということです。

なかなか治らない病気は、長期戦だと思えばいい。

なぜなら、なかなか治らない病気なんですから、焦っては心まで蝕ばまれるからだ。

じっくりその病気と付き合えば、養生の方法の糸口が見つかります。


痛みは体で感じるもの、苦しみは心で感じるものです。

体を養生して免疫力を高めれば、血行の循環もよくなり、痛みも抑えられます。

心が苦に思わなければ苦は消える。

苦も痛もなければ、季節の作物を日々の食事に取りいれて、おいしく感じて味わおう。

季節のお花を部屋に飾って、「おまえはきれいだね」と声をかけて気を共振しょう。

晴れた日は、外に出てウォーキングをしましょう。

雨の日は、音楽を聞いて、心をはずませよう。

ひと呼吸、ひと呼吸を感じて、生きているそんな自分を好きになり喜びを感じとろう。


病は止まない。

やまいは、やまないものです。

一つ病気が治って、また次の病気がやってくる。

病気は、よくなって、悪くなって、当たり前なんです。


≪病気の完治≫ではない、大切なのは≪元気を取り入れることだ≫。

私は、「黄斑変性症」の病気を患い、今年で26年になる。今だ再発していない。

この病気は、「完治」しないから通院して検査で様子をみる必要がある、

そう医者に言われたが、私は通院していない。

なぜなら、一時的に病気がよくなっても、また再発すると言われたからだ。

そうであるならば、検査は治療ではない、養生がポイントとなる。

病気の「完治」、それは私の問題ではない、私に必要なのは、いかに私が元気であるだ。


お釈迦様が言った、人は「生死病老の苦」から逃れられない。

そうであるならば、それを「苦」に思ってもしょうがない。

そうだとすれば、なおさらのこと、今という「ひと呼吸」を味わって喜びにした。

私はこれを実践しました。

そうするとどうでしょう、私は26年間一度も寝込んだことがないのです。

                                       
あんどうよしみ

2010年11月13日土曜日

■気功心法―負けないこころのレシピ。

私たちは、歯で食べ物を食べます
食べ物は、体の栄養

「感じる」は、こころの歯
愛や思いやり、体験は、こころの食べ物、こころの栄養

ウンコや尿は、からだの排泄物
食べ過ぎは、便秘や肥満のもと
氷やアイスクリームの食べ過ぎは、冷えのもと

イライラ・クヨクヨ・メソメソは、こころの排泄物
怒りや憎しみ、嫉妬や欲張りは、こころの肥満
不満や不安は、こころの便秘のもと

からだの栄養をとり、運動して、からだを養生しましょう!
こころの栄養をとり、人を愛し思いやりを注ぎ、こころを養生しましょう!


あんどうよしみ



まけないこころのレシピ
こころに効くやさしい東洋医学の知恵「気功心法」


著者:あんどうよしみ
発行:マーブルトロン
発売:中央公論新社
  2003年刊
価格:1660円(税込)

2010年11月12日金曜日

■気功心法―あなたの心と体が叫んでいるよ!

誰でも疲れを感じる。

あなたは今、疲れを感じていますか?

どんな感じの疲れですか?

生きていると、誰でも疲れを感じます。


あなたの≪こころ≫と≪からだ≫が叫んでいるよ!

からだで言えば、疲れているのは、どの部分?

たとえば、目の疲れ? 頭が重いの?

それとも、肩がこって痛みがあるとか? 腰が痛くて座っているのいがつらいとか?

ちょっとしたことですぐにお腹が痛くなり、下痢してしまうとか?

生理前や生理中の痛みはどうですか?

便通がよくなくてすっきりしないだとか……。


では、こころの疲れはどうですか?

胸がしめつけられるような感じですか?

息が途切れて続かない感じですか? 詰まるような感じですか?

ドキドキ、バクバク…、苦しい感じがしますか?

やりたいことをやっているのに、おもしろくない、楽しめない感じだとか?

ほしいものが手に入ったのに、喜べないだとか?

そんなにひどくはないけど、漠然とこころが何か重い感じがするのですか?


こういった「疲れ」を感じるなら、それは、こころとからだからの、あなたへの警告のサインです。

からだをやすめー運動しろー! こころを切り替えてー発想転換しろー!

と、あなたに訴えているのです。

あなたの、≪こころ≫と≪からだ≫が叫んでいるよ!


中国医学の「未病(みびょう)」とは、≪プチ不調≫のこと。

これらの諸症状は、病気とは言えません。

中国医学では、「未病」(みびょう)と言います。

健康と病気の間の症状ということですね。

私は、「プチ不調」と呼んでいます。


「最高の名医は自分であり、最高の妙薬は体内にある」

24時間、自分に付き合えるのは、自分しかない、

早めの「気功心法」をおすすめします!


あんどうよしみ




著者:あんどうよしみ
発行:マーブルトロン
発売:中央公論新社
  2003年刊
価格:1660円(税込)

2010年8月8日日曜日

冷え性対策-その2

外はものすごく暑いですが、

それに反比例するかのように

仕事場・デパート・通勤電車の中・・・などは

エアコンがとってもきいていませんか?

この季節、自分の体を養生するには

温度調節がポイントになってきますよ。



エアコンのきいた中に長時間いるのなら

カーディガンを羽織るとか

特に首周りは冷やさない方がいいので

夏用のマフラーやストールで冷え防止を。

足首も冷やさないように

靴下・レッグフォーマーを。

ちょっとかっこ悪いけど

冷房のきいている仕事場で履き

外に出るときは脱ぐ。

面倒くさい時もあるけど

私の場合、そうしないと

夕方からプチ不調が出てきます。



ここで1つ。

よく「冷やさないで」とお話すると

お腹まわりから足まで

ものすごく暑い中でも

我慢して重ね着をしている方がいらっしゃいます。

よくよく聞いてみると

洋服の中は、汗ビッチョリ。

これ、逆効果ですよ!



公共の場では

自分にぴったりの温度調節はお願いできないので

他人にどうみられようが、

冷え防止対策はバッチリと。

自分の体は自分で守っていきましょうね。



さっ、お風呂に浸かって

体の芯からあたためて寝よっと。

             
                   薬局スタッフ

コメントのお返事

ロンチーさんへ

ロンチーさんに勇気が湧いてきて

とても嬉しく思います。

少しでも赤ちゃんが欲しい女性の力に

なりたいと思っております。

私がまだ不妊の心理にどっぷり浸かっていた頃は

人の体験談を見聞きしても

「この人はそうかもしれないけど

私は違うもん…私はダメだもん…」

って思ういじけ虫だったんですよ。

そんないじけ虫も心法で変わりました。

今は皆さんの応援団です。

静かな応援団ですが

よろしくお願いいたしますね。

             薬剤師 木下


スタッフより
ANDO YOSHIMI MEDIA BLOG
2010年8月6日UP
【動画】 不妊養生 パート3~5
に頂いたコメントにお返事させていただきました。
詳細は上記ブログをご覧ください。
             

2010年8月2日月曜日

未妊の定義

未妊という言葉は、私が良い加減に言いだした言葉です。ごめんなさい。
未妊は、中国医学の学術用語でもなければ、辞書にも載ってない言葉です。
ですから、皆さんには他の専門的な学術用語や、他の言葉と混合しないように、
ご理解を頂きたいと思います。
そのために、ここで、あえて『未妊の定義』を述べさせて頂きたいと思います。


未妊の語源
未妊とは、まだ妊娠していない人。未だ妊娠しない人。のことを言います。
漢字の語源をとって、私がそう表現しただけです。

未妊の定義
赤ちゃんがほしいのに、未だに妊娠しない。
体に難点があって、なかなか妊娠できない・妊娠しにくい。
心に不安があって、なかなか妊娠しない・妊娠しにくい。

未妊の原因
未妊養生学の観点からみた、未妊と思われる原因には、いくつかあります。
ここでは、大まかに3点取り上げますが、どうぞご参考にまで。
詳しくは、≪未妊養生学の気功心法教室≫にご参加ください。

①性格による不安
(赤ちゃんがほしいという前に、もともと性格的に心配性や不安がる性質の方)
(当方で、その人の性格や個性を知った上で、その人に合わせた養生指導を行う)

②不妊の心のロック
(自分の力では自然妊娠できない、不妊だと思い込んでしまって、不安がる心理)
(不妊の心のロックの原因をよーく調べる必要がある)
(各個人の事情が異なるため、個人差が大きく、ご本人のお話をよーく聞き、それに合わせた養生指導を行う)

③体の難点
≪難点の定義≫-少し欠点となるとが、故障ではない。妊娠しにくい原因となるが、自然妊娠できないのではない。
(難点となる原因には、主に『6つのプチ不調』」が挙げられる)―この具体的な内容については、『不妊を治すこころの養生学』に書きましたので、ご参照ください)
(先天的なものと後天的なものがあり、個人差もかなり大きいため、その人に合わせた養生指導が必要)


当方では、赤ちゃんは≪天の授かりもの≫という概念のもとに、自然妊娠を考えています。
しかし、自然妊娠とは、SEXなしに、勝手に赤ちゃんがやってくるというものではありません。
ゆえに、夫婦の絆のコミュニケーションを大切にし、生むだけではなく、ご夫婦が手を取り合って、赤ちゃんを健全な心身に育てていくことが、真の家族の喜びとなる、このことを呼びかけています。
「未妊の養生学」及び「未妊の定義」は、そのためのものであります。

あんどうよしみ

2010年7月31日土曜日

未妊の養生学

私は、2004年2月、「不妊を治す気功学」を出版させて頂きました。
マーブルブックス発行、中央公論新社発売。
この本の中で、「未妊」という言葉を発しました。

不妊の心理と未妊の言葉

私は、20数年間「気功心法」の教室を主催してきましたが、
決して不妊だけを対象にした教室ではありません。
しかし、気がついたら、不妊に悩む方たちが信じられないほど増えていました。
今では、≪セルフケア・気功心法クラス≫と≪未妊養生・気功心法クラス≫に分けています。
なぜなら、不妊だと思い込んでいる方たちは、独特な『不妊の心理』を抱えていること
に気付いたからなんです。

私が「未妊」という言葉を言い出したのは、1992年の頃です。
当初、教室では不妊に悩む方の生徒が増えだした時で、
皆さんは、あまりにも自分のことを「不妊不妊・・・」とおっしゃるから、
「不妊不妊・・・って、うるさいわね、あなた不妊ではなく、未妊なんでしょう!」
と、ついつい怒ってしまいました。
とっさにそう言ったものの、すぐに私は後悔してしまい、泣き出すのではないかと、
ひやひやしていたら、意外に皆さんは明るくなって行きました。
それから、なんと皆さんはポロポロと自然妊娠していきました。
このことは、1993年フジテレビで取り上げられました。

こうした経緯から、私は、不妊に悩む方には、独特な「不妊の心理」が存在することに
気づき、本格的に不妊の心理についての、研究活動を行ってきました。
今に至っては、私の学術顧問の中国国家の国宝級の医師たち(動画参照)
の監修のもとで、研究チームにより、未妊の養生学を考案しました。
一人でも多くの、不妊に悩む方たちに、未妊の養生学が役立てられれば幸いです。

                                         あんどうよしみ

2010年7月28日水曜日

冷え症対策

ものすごーく暑い毎日です。

暑い時には、かき氷・ソフトクリーム・生ビール・・・。

おいしいですよねぇ。私も大好きです。


20代の頃は、エアコンのガンガンかかったお店で

ブルブル震えながら、かき氷を食べていました。

今、思うと、そんな自分が怖いです。

手足が常に冷たくて、

でもそれが当たり前だったから

「私は冷え症ではない」

逆に「普通」だと思っていたあの頃。


自分では「冷えてないぞ」と思っていても

実は冷えているってことあるんですよ。

体を触ってみて、冷たいところはありませんか?


特に、赤ちゃんが欲しい女性に、

「冷え」は良くないこと。

赤ちゃんが育つ子宮はあったかくしておきましょう。

親鳥が卵をあたためるように。

赤ちゃんがいつ来てもいいように。


「冷え症」対策の一つとして

私の場合、飲み物を頼む時は

勇気を出して

「氷少なめに」とか「氷ぬきで」

と言っています。

妊娠する前は、冷たいものはなるべく飲まなかったですね。

夏でも常温のお茶とか、ホットを頼んでいました。


ビール好きの私は

「ビールは飲まない!」と決めると

逆にストレスが溜まるので

たま~に「1杯」は許し

(ささやかな自分へのご褒美❤)

または、常温のワインを飲むようにしていました。

でもこれは「我慢する」っていう感じではなく

だんだんと「当たり前」になっていきました。


次回は「冷え症対策ークーラー編」を

お話したいと思います。

              
                                                     薬局スタッフ

2010年7月16日金曜日

ブログ・動画アップしました!

STAFFからのお知らせです。

漢方薬局 MOTHER LOTUS プロデュース 
あんどうよしみのブログと動画サイトが立ち上がりました!

あんどうよしみのブログはこちら
ANDO YOSHIMI MEDIA BLOG

まだ本には書いていない
「運命心理メソッド」についても公開しています!
←出版予定あります。

そして
あんどうよしみの動画サイトはこちら
ANDO YOSHIMI MEDIA

マザーロータス学術顧問の先生お2人のご紹介をメインに
北京で撮影したものをUPしています。

当ブログ「動画」ページでも
ご覧頂けます。

是非一度ご覧ください!


薬剤師 木下先生のお子さん・こうちゃんも動画サイトにくぎづけ



                   

2010年7月8日木曜日

嫉妬不妊症

薬剤師 木下です。


今日はあんどう先生の本から

「嫉妬不妊症」についてお話したいと思います。


みなさんはこの

「嫉妬不妊症」をご存じですか?

中国医学で示されている病名で

この「嫉妬」はジェラシーといういう意味ではなく

「ひねくれる」「いじける」などの意味でとらえられ

「こころがひねくれる不妊症」ということだそうです。



ドキドキしながら買った「不妊を治す気功学」

読み進めていくうちに

もう1人の私が登場してきました。



たとえば、

長年の不妊治療をやめたとたんに

自然妊娠した方の体験談を読んだ時の私。



正直に言ってしまいますが、

「所詮、出来た人の話でしょ~。

この人は出来たけど、私はこの人じゃないし・・・。」


そう思ったとたん、マイナス思考が出てくる出てくる。


「そうだよ。私って運が悪いし・・・。そうそう、いつも私の願いって

叶わないんだよね~。」

 

そして何度も本を読み返すうちに

「これ・・・私の事だ・・・。」って思えることができました。

でも、そう素直に受け入れられたのは

あんどう先生が

こころがひねくれてしまったわけ

とってもわかりやすく教えてくれたからです。



心が少し軽くなった瞬間でした。

2010年7月7日水曜日

出会い

薬剤師 木下です。


今日は七夕ですね。


この年齢になっても

(年齢は昨日のブログでおわかりですね!?)

「彦星と織姫が出会えるといいな~」って

天気予報が気になります。



私はあんどう先生の

「不妊を治す気功学」の本と出会い

今こうして家族3人で楽しく過ごせることを

心から感謝しています。


なぜこの本がすっと手にとれたのか

今でも不思議でなりません。

なぜなら当時の私は

赤ちゃん関係の本があるコーナーが

視界に入るだけでも嫌だったからです。

「私には赤ちゃんがいない・・・」

メソメソした気持ちになりました。

そしてそのコーナーに交じって置いてある不妊関係の本には

検査や治療の情報がいっぱいで

「病院に行かないと赤ちゃんはできないの?」と

追い込まれた気持ちになり

読むと決まって落ち込んでいました。

だから避けて通っていたのに・・・。


偶然(?)出会ったあんどう先生の本は

パラパラっと立ち読みしただけでも

すっごく胸がドキドキして

すぐレジに走って行きましたよ(笑)


次回は

あんどう先生の本から

当時自分が感じたことを

正直にお話ししますね。



みなさまにも良い出会いがありますように・・・。

2010年7月6日火曜日

はじめまして。

漢方薬局マザーロータス

薬剤師 木下です。


突然ですが・・・

私は「未妊」でした。


「未妊」という言葉は

あんどうよしみ先生の本

「不妊を治す気功学」で知りました。


長くて辛い不妊治療と不妊の心理にはまっていた私は

「不妊」ではなく「未妊」

まだできていないだけ。出来にくいだけ。

という、あんどう先生の声に目からウロコでした。


そしてすぐに

あんどう先生の気功心法教室に参加しました。


4年間の不妊治療(体外受精までステップアップ)

で妊娠できなかった私が

たった1年2ヶ月で

自然妊娠出来たんです!

田中ウィメンズクリニックの田中先生にも

お世話になって

無事40歳で出産しました。


早いもので

その子も4歳。元気に保育園に通っています。


私は未妊でしたから、未妊で悩んでいる女性の気持ちは

胸が痛くなるくらいわかります。

そして今、未妊の方のサポートが少しでもできれば・・・と

心から思っております。


これから

私の体験談も含めながら

このブログを通して

皆様に元気のでるメッセージが

発信できたらいいな~と思っています。


どうぞよろしくお願いいたします。