2010年12月15日水曜日

■負けたと思い込んだ時が人生の負けだ!-篠塚和典物語⑳

人生に勝ち負けは存在しない。


数字であらわすこともない、高い低いもない。


人生は経験・体験の連続。


成功の経験体験から学び取ることがあるが、


失敗の経験体験から学び取ることもある。


ゆえに、人生に成功もなければ、失敗もない。


ただし、あなたが「負けた」と思い込んだ時、


あなたの「人生」は負けたことになるだろう。

 
どんな人生であろうと、「勝ち負け」は存在しない。

何を勝ちとするのか、何を負けと呼ぶのか、生きる価値観はそれぞれ違う。


大きな家に住んでいて、たくさんの別荘や土地をもっていて、金持ちであっても、

「人格」がなければ、人間として生きたことにはならない。

それは、単なる「守銭奴」「守財奴」にすぎない、つまり、財産を守る奴隷の意味。

または、土地、別荘の収集家だろう。


日本人は言う、「寝て一畳、立って半畳」、足ることを知る心が人間の生き方だ。


伊藤投手が悲劇な野球人生!?

さて、お話を【6・9】運命の日にもどしますが、

伊藤智仁氏、彼の野球人生は、「悲劇的だ!」

と、このような言葉で彼の野球人生を表現する書き込みが多かった。


「あれだけの天才だ、悲劇な野球人生はないでょう!」と、

私の心の中で思わず悲鳴が上がった。


「人生」は、競争じゃない、ましてや数字で優劣を表すものではない。

他人があれこれ評価して、勝ち負けのレッテルを貼るのはやめよう。


彼は、ケガの痛みを背負いながらも、高名な野球技

≪153km/hのストレートと真横に滑るような高速スライダー≫をもって、

私たちを癒し楽しませてくれたと思うのです。

野球ファンではなかった私でも凄いと思う、彼に「お疲れ様」と感謝の意を表したいと思った。

みなさんはどう思いますか?


彼の一個人の悲劇ではない、日本国の悲劇ではないでしょうか?

これだけの素晴らしい若い人材が日本にいて、なぜ選手生命を短命に終わらせたのか? 

周りの大人にも反省する点があったのではないのだろうか。


我が国の若い人材は、国の財産です。

これを使うだけ使って悲劇に終わらせるのは、国の悲劇というものです。


これを教訓にして、武道精神の「心技一体」に則り、技法ならず、

「心法」の極地を求める意味での、若者たちの「メンタルケア」に力を入れるべきだと思います。


篠塚和典物語㉑へ続く・・・

あんどうよしみ

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