人生に勝ち負けは存在しない。
数字であらわすこともない、高い低いもない。
人生は経験・体験の連続。
成功の経験体験から学び取ることがあるが、
失敗の経験体験から学び取ることもある。
ゆえに、人生に成功もなければ、失敗もない。
ただし、あなたが「負けた」と思い込んだ時、
あなたの「人生」は負けたことになるだろう。
どんな人生であろうと、「勝ち負け」は存在しない。数字であらわすこともない、高い低いもない。
人生は経験・体験の連続。
成功の経験体験から学び取ることがあるが、
失敗の経験体験から学び取ることもある。
ゆえに、人生に成功もなければ、失敗もない。
ただし、あなたが「負けた」と思い込んだ時、
あなたの「人生」は負けたことになるだろう。
何を勝ちとするのか、何を負けと呼ぶのか、生きる価値観はそれぞれ違う。
大きな家に住んでいて、たくさんの別荘や土地をもっていて、金持ちであっても、
「人格」がなければ、人間として生きたことにはならない。
それは、単なる「守銭奴」「守財奴」にすぎない、つまり、財産を守る奴隷の意味。
または、土地、別荘の収集家だろう。
日本人は言う、「寝て一畳、立って半畳」、足ることを知る心が人間の生き方だ。
伊藤投手が悲劇な野球人生!?
さて、お話を【6・9】運命の日にもどしますが、
伊藤智仁氏、彼の野球人生は、「悲劇的だ!」
と、このような言葉で彼の野球人生を表現する書き込みが多かった。
「あれだけの天才だ、悲劇な野球人生はないでょう!」と、
私の心の中で思わず悲鳴が上がった。
「人生」は、競争じゃない、ましてや数字で優劣を表すものではない。
他人があれこれ評価して、勝ち負けのレッテルを貼るのはやめよう。
彼は、ケガの痛みを背負いながらも、高名な野球技
≪153km/hのストレートと真横に滑るような高速スライダー≫をもって、
私たちを癒し楽しませてくれたと思うのです。
野球ファンではなかった私でも凄いと思う、彼に「お疲れ様」と感謝の意を表したいと思った。
みなさんはどう思いますか?
彼の一個人の悲劇ではない、日本国の悲劇ではないでしょうか?
これだけの素晴らしい若い人材が日本にいて、なぜ選手生命を短命に終わらせたのか?
周りの大人にも反省する点があったのではないのだろうか。
我が国の若い人材は、国の財産です。
これを使うだけ使って悲劇に終わらせるのは、国の悲劇というものです。
これを教訓にして、武道精神の「心技一体」に則り、技法ならず、
「心法」の極地を求める意味での、若者たちの「メンタルケア」に力を入れるべきだと思います。
篠塚和典物語㉑へ続く・・・
あんどうよしみ
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