篠塚和典著、【ミスターがくれた19年】ベースボール・マガジン発行
「気功心法はすごい。
近代医学にはない神秘さ、尊厳さがある。
もっと早く安藤先生と知り合っていたらねぇ…」
そう言えば、1995年、篠塚さんが出版した
「ミスターがくれた19年」ベースボール・マガジン発行(P188~189)で、
こんなことが書いてありました。
その意味は、もっと早く「気功心法」に出会っていたら、
ぼくの野球選手生命が延びていただろう、ということだと思う。
【6・9運命の日】の翌年、篠塚さんは引退した。
正直言って、当時私は早すぎた彼の引退が納得いかなかった。
なぜなら、気功心法を指導してきた私の立場からみれば、
腰痛があるものの、見事に「気功心法」を自分のものにした彼には
まだまだ現役続行する余裕があったはずだと判断していたからです。
もったいない、本当に残念だ、そう思ったのです。
あとでわかったのですが、それにはそれなりの理由があったようです。
彼の本の「ミスターがくれた19年」の、≪引退、そしてコーチ≫P190~191にも
書いてありますが、篠塚さんは現役続行を希望したが、当時の長嶋監督との話し合いのもとで、
若手を育てていくという監督の希望に、彼は合意してコーチに転換したそうです。
心と体はワンセット、気功心法は「心と体のバランス」を考えるメソッド。
選手は常にケガと背中合わせ、そのためのメンタルケアも重要となる。
彼なら、気功心法を生かして、若手の「心と体のバランス」をケアしていくでしょう。
指導者として大変に適任だと私も思う。それで私は納得しました。
1993年【6月9日】、金沢野球場で行われた巨人・ヤクルト戦。
その勝負の結果がどうであれ、私にはこの試合を通して、
私たちに大切な事を伝えようとしている≪運命のメッセージ≫を感じてなりません。
この試合を通して、私たち大人に、
≪心と体のバランス≫の大切さを叱咤しているのかもしれません。
また、これからの後世を守っていく使命を催促しているようにも感じた。
篠塚和典物語㉒へ続く・・・
あんどうよしみ
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