2010年12月8日水曜日

■心気と技術の一体、これが真の武道だ。-篠塚和典物語⑮

「武術」は、狩猟や戦闘の技術から発達してきたもの。


「武道」は、技法ならず「心法」の極地を求め、


精神と技術を一体にする。


読者からこんな質問がありましたが、

柔道の熟練者ともなると気で相手を投げ倒す?

日本の「道」のつくもので、例えば合気道でもありますね。

何人ものひとが束になってかかっても四方八方率いるかのように相手を一撃で倒してしまう。

気がみなぎってくるとリラックスして潜在能力が引き出されるのでしょうか?


「気」とは何か? 学校の教科書では教えないこと。

大切な部分を質問をしていますので、今日から何日かに分けてここを触れてみたいと思います。

こうして、篠塚さんの「円環体」のお話をきっかけに、そもそも「気」とは何か? 

また、何のために存在しているのか? これからどのように「気」と付き合っていくか?

これらを知っておくことは、非常に生活の中で役に立ち、

いい意味であなたの人生観が変わってくると思う。


特に、あなたが日本人なら、なおさら「日本武道」の歴史、

その由来についても知ってほしいのです。

なぜなら、日本の伝統文化であり、古代の日本精神であるからだ。

私は単に、あなたが日本精神に目覚める、その手助けをしているだけです。

いわば、私は道先案内人にすぎません。


第一歩として、まず、「武道」と「武術」の違い、これを知って頂きたいのです。


「日本の武道」は、昔は≪学校武道≫といって、相手とのコミュニケーションをとるために、

≪武道教育≫を学校で行われていたそうです。

それは、自分を知る、人と人との礼節、けじめや節度などを覚えさせるのが目的でした。

「気功心法」もまた、同じ目的です。

ただ、「武道」との手法が異なる部分がある。


武道も、気功心法も、≪気をあやつる≫、この部分は同じです。


武道は、「武術」をこなし、気功心法は、「医術」をこなす。


手法は違っても、行こうとする≪道の方向性≫は同じだ。


双方とも≪自分の心身の健康≫≪他との礼節心「調和と共存」≫


をはかる、これが≪道≫です。


日本伝統の「武道精神」が戦中、「戦闘精神」に変わってしまった!

しかし、戦争の中、武道教育は「攻撃精神」、「必勝の信念」、「没我献身」

などの言葉で語られたが、つまり、攻めて戦う精神、必ず勝つという信念、

自分を失くして国に献身する、というものでした。


本来、自分の心身健康のため、他人とのつながり、人と人との絆を結ぶための、

「武道精神」が、「戦闘の精神」に変わってしまったのです。


「日本の武道」の本来の学校武道の良さが見失われてしまったことは極めて

憂慮すべきことだと悔やむ武道専門家も多い。

篠塚和典物語⑯へ続く…

あんどうよしみ

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