2010年11月18日木曜日

■気功心法で「痛み」を克服-篠塚和典の物語①

誰でも、体の痛みは我慢できない

体が病めば、心も病んでいく。

特に、体の痛みは、本当に我慢できないものなんですね。

体の「痛み」、いろんな痛みがあるんでしょうけど、誰でも一度はこんなつらさを

体験していると思う。

体が痛みを感じれば、心もつられて、「つらい」と感じるのです。

仮に、あなたが転んでヒザを打った時、或いは、ナイフで手を切ってしまった時、

そんな時、瞬間に激しい痛みが走るでしょう。

それと同時に、心もギュッとしめつけられたみたいに、

「あ~、いったい」と、何とも言い様がない状態に陥る。


「痛み」があっては、人は「人格」がなくなる
-兵頭正義教授の言葉。

どんなに、人の体や内臓の形に欠陥がなく、疾患がなく整っていても、

そこに「痛み」が生じれば、その人の心に安らぎがなくなってしまう。

だから、「痛み」をとってあげないと、「痛み」があっては、人は「人格」がなくなる。

「痛み」は、医療の原点である。

そう言ったのは、ペインクリニックという学問の草分け的存在であり、

日本における痛み治療の最高の権威者、大阪医大の兵頭正義教授である。


痛みにも、いろんな「痛み」がある。

たとえば、チクチク、ヒリヒリ、ジリジリ…と痛い。

まるでハリが体を刺しているような、火あぶりされているような、そんな痛み。

ガンガン、ズンズン、ドクンドクン…と痛い。

まるで外からハンマーで叩かれているような痛み、中で爆弾をかかえているような痛み、

重い石がのっているような圧迫の痛み。

どれだけ痛いのか、どのような痛みなのか、血圧測定器で血圧の数字を測るみたいに、

「痛み」は測定して数字に表すことができない。

だから、医者は患者が訴える言葉が頼りですね。


「痛み」は、医療の原点である-兵頭正義教授の言葉。

仮に、あなたが、「痛い、痛い、死にそうに痛いです!」と訴えれば、

傷口がなく内的な器官も問題がなければ、それだけ医者もたくさんの鎮痛剤を出すでしょう。

また、あなたが「痛い、痛い」って騒げば、医者は落ち着いて診察ができない。

だからひとまず痛みを鎮静させてから、ゆっくりと診察していくでしょう。

そういうわけで、兵頭正義教授は、「痛み」は医療の原点であると、言ったわけなんです。

つまり、体が痛い痛いでは心も痛い、そのような人に

「我慢しろ、騒ぐな、静かにしろ!」と言う方が無理があるでしょう。

ですから、「痛み」があっては、誰だってそんな時は「人格」がなくなる、

と兵頭正義教授がそう言いました。

痛みはそれほど、人の心をパニックにさせ、ゆううつにさせてしまうのものだからですね。


出口のないトンネル、慢性的な痛みは、本当につらい!

ケガや切り傷の痛みの場合は、傷口が治れば痛みもいずれ治まっていくでしょう。

しかし、慢性的な内臓疾患の痛み、或いは、

脊椎分離症(脊椎の上下の関節突起の間が切れたもの)などの症状は、

腰痛や足のしびれが伴い、そのゆううつさや煩わしさ、つらさなどは、

患った経験のない人にはわからないでしょう。

それはまるで、出口のないトンネル、終わりのないマラソンに立たされた思いで、

患者たちの心も日々そんな痛みに蝕まれていくのです。

そうして彼たちは、身も心もボロボロだ、と訴えるのです。


痛みについて話す時、篠塚和典の物語を語らずには始らない。

これから、体の「痛み」について触れていきたいと思いますが、

そんな時、私はある方の物語を語らずにはいられないのです。

その方とは、「篠塚和典」、彼は日本プロ野球界の歴史に名を残した名選手だ。

また、私が提唱した「気功心法」を実践し、見事に自分のものにした一人でもある。


篠塚和典、彼が現役時代に「脊椎分離症」の持病に悩まされていたことは有名なお話。

試合中にタンカーで運ばれたこともあるほど、彼の症状はかなりひどいものだった。

専門医によれば、「まず、選手をやめることだ」。

つまり、選手生命には致命的な症状であったということです。

言うまでもないが、彼には使命感や責任感が強く、そう言われたからと言って、

「はい、やめます」なんて、そういうわけにはいかなかった。

彼がどのように「気功心法」を駆使していったか、それは明日以降からのお楽しみ。

とり急ぎここで、彼は自分の痛みを克服しただけでなく、人の心をも感動させる、

≪気功心法の達人≫でもある「名打者は人の心をも打つ!」

ということをお伝えしておきましょう!



あんどうよしみ

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