体が病めば、心も病んでいく。
特に、体の痛みは、本当に我慢できないものなんですね。
体の「痛み」、いろんな痛みがあるんでしょうけど、誰でも一度はこんなつらさを
体験していると思う。
体が痛みを感じれば、心もつられて、「つらい」と感じるのです。
仮に、あなたが転んでヒザを打った時、或いは、ナイフで手を切ってしまった時、
そんな時、瞬間に激しい痛みが走るでしょう。
それと同時に、心もギュッとしめつけられたみたいに、
「あ~、いったい」と、何とも言い様がない状態に陥る。
「痛み」があっては、人は「人格」がなくなる
-兵頭正義教授の言葉。
どんなに、人の体や内臓の形に欠陥がなく、疾患がなく整っていても、
そこに「痛み」が生じれば、その人の心に安らぎがなくなってしまう。
だから、「痛み」をとってあげないと、「痛み」があっては、人は「人格」がなくなる。
「痛み」は、医療の原点である。
そう言ったのは、ペインクリニックという学問の草分け的存在であり、
日本における痛み治療の最高の権威者、大阪医大の兵頭正義教授である。
痛みにも、いろんな「痛み」がある。
たとえば、チクチク、ヒリヒリ、ジリジリ…と痛い。
まるでハリが体を刺しているような、火あぶりされているような、そんな痛み。
ガンガン、ズンズン、ドクンドクン…と痛い。
まるで外からハンマーで叩かれているような痛み、中で爆弾をかかえているような痛み、
重い石がのっているような圧迫の痛み。
どれだけ痛いのか、どのような痛みなのか、血圧測定器で血圧の数字を測るみたいに、
「痛み」は測定して数字に表すことができない。
だから、医者は患者が訴える言葉が頼りですね。
「痛み」は、医療の原点である-兵頭正義教授の言葉。
仮に、あなたが、「痛い、痛い、死にそうに痛いです!」と訴えれば、
傷口がなく内的な器官も問題がなければ、それだけ医者もたくさんの鎮痛剤を出すでしょう。
また、あなたが「痛い、痛い」って騒げば、医者は落ち着いて診察ができない。
だからひとまず痛みを鎮静させてから、ゆっくりと診察していくでしょう。
そういうわけで、兵頭正義教授は、「痛み」は医療の原点であると、言ったわけなんです。
つまり、体が痛い痛いでは心も痛い、そのような人に
「我慢しろ、騒ぐな、静かにしろ!」と言う方が無理があるでしょう。
ですから、「痛み」があっては、誰だってそんな時は「人格」がなくなる、
と兵頭正義教授がそう言いました。
痛みはそれほど、人の心をパニックにさせ、ゆううつにさせてしまうのものだからですね。
出口のないトンネル、慢性的な痛みは、本当につらい!
ケガや切り傷の痛みの場合は、傷口が治れば痛みもいずれ治まっていくでしょう。
しかし、慢性的な内臓疾患の痛み、或いは、
脊椎分離症(脊椎の上下の関節突起の間が切れたもの)などの症状は、
腰痛や足のしびれが伴い、そのゆううつさや煩わしさ、つらさなどは、
患った経験のない人にはわからないでしょう。
それはまるで、出口のないトンネル、終わりのないマラソンに立たされた思いで、
患者たちの心も日々そんな痛みに蝕まれていくのです。
そうして彼たちは、身も心もボロボロだ、と訴えるのです。
痛みについて話す時、篠塚和典の物語を語らずには始らない。
これから、体の「痛み」について触れていきたいと思いますが、
そんな時、私はある方の物語を語らずにはいられないのです。
その方とは、「篠塚和典」、彼は日本プロ野球界の歴史に名を残した名選手だ。
また、私が提唱した「気功心法」を実践し、見事に自分のものにした一人でもある。
篠塚和典、彼が現役時代に「脊椎分離症」の持病に悩まされていたことは有名なお話。
試合中にタンカーで運ばれたこともあるほど、彼の症状はかなりひどいものだった。
専門医によれば、「まず、選手をやめることだ」。
つまり、選手生命には致命的な症状であったということです。
言うまでもないが、彼には使命感や責任感が強く、そう言われたからと言って、
「はい、やめます」なんて、そういうわけにはいかなかった。
彼がどのように「気功心法」を駆使していったか、それは明日以降からのお楽しみ。
とり急ぎここで、彼は自分の痛みを克服しただけでなく、人の心をも感動させる、
≪気功心法の達人≫でもある、「名打者は人の心をも打つ!」
ということをお伝えしておきましょう!
あんどうよしみ
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