では、伊藤智仁投手の凄さとは何なのか?野球をよく知らない人のために、
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また、もっと知りたい人は、ウィキペディア・フリー百科事典の記事を読んでください。
最速153km/hのストレートと真横に滑るような高速スライダーが武器。
実働期間こそ短かったもののその実力は非常に高く評価されており、全盛期に伊藤の球を受けていた捕手の古田敦也は「あの高速スライダーは捕手だからなんとか捕球出来ているが、もし自分が打者だったら絶対に打てない」と賞し、プロ野球評論家の青田昇は「プロ野球史上で本当のスライダーを投げたのは、藤本英雄、稲尾和久、伊藤智仁の三人だけ」と評価し、そして当時の監督だった野村克也をして「長いこと監督をやってきたけど、あいつがNo.1だよ」(フルタの方程式7月号にて)と言わしめた。
1993年6月9日の石川県立球場での巨人戦、8回まで無失点、さらに当時のセリーグタイ記録である16奪三振をあげるが味方の援護もなく0-0のまま迎えた9回裏、篠塚和典にソロホームランを打たれサヨナラ負けを喫する。この後悔しさのあまり自軍ベンチに向かって自分のグラブを投げつけたことについて、ルーキーらしからぬ態度だと非難する声が上がる一方、それぐらい悔しがっていいと擁護する声もあった。なお「負け試合における」1試合16奪三振はこのケースが初めてである。
デビュー以後はひじの痛みと肩の故障に苦しみ、一転して悲劇の野球人生を歩むも、
プロ野球史上ナンバー1の最速投手との呼び声も高く、未だその圧倒な投球は、
プロ野球ファンの間で伝説として語り継がれている。
と、このようなコメントも多く、動画もたくさんあるので、知らないという人はぜひとも
一度ご覧になってください。
凄い凄いとは聞いていたが、こんなに凄いとは知りませんでした。
私は、改めて伊藤投手の天才ぶりに感動したものの、その華かな一面の影に、
彼もまた、篠塚さんと同じく、酷く体の痛み(ひじの痛みや肩の故障)に
苦悩されていたことを初めて知りました。
その心の葛藤を思うと、気が共振したのか、本当に無念で、
とてつもなく切ない気持に陥りました。
悲劇的な野球人生!?
しかし、彼は悲劇的な野球人生だという書き込みも多い。
「あれだけの天才が悲劇な野球人生はないでしょう!」
と、私の心の中で思わず悲鳴が上がった。
これだけ素晴らしい若い人材が日本にいて、なぜ選手生命が短命に終わったのか、
実にもったいない、まことに遺憾な話だ!
篠塚和典⑤つづく
あんどうよしみ
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