2010年11月30日火曜日

■心の病のもと「こころの渇きと飢え」-篠塚和典物語⑨

「こころの渇き」、「こころの飢え」、これが≪心の病のもと≫。

なぜ、今の世の中に「心の病」が多いのか?

それは、言うまでもないでしょう、

「こころの渇き」、「こころの飢え」が、心の病の主な原因なんです。


私たち、人間は「からだ」と「こころ」で構成されている。

当たり前なことだ!と、あなたは言うかもしれない。

しかし、現代人は、こんな当たり前なことがわからなくなっているのだ。


自然の形、自然の働き、「当たり前の尊さ」を知ることだ。

太陽は今もなお、東にのぼり、西に沈む。

こんな簡単な動き、こんなシンプルな動きを、太陽は何年もそうして動いている。

その「お陰さま」で、私たちは太陽の恩恵を受けて生きている。

そんな太陽は、単純で、芸がない、バカなやつなんでしょうか?

私は、あきれて口がふさがらないほど、太陽ってやつに、本当に感動させられるのだ。


あなた「天の高さ」知ってますか?

あなたは知ってますか?太陽の高さ?

太陽の高さ、これが、「天の高さ」なのだ。

見上げれば、私たちの頭の上には天の一面。

そんな天の高さに、私たち人間は届いたと言えるのでしょうか?


「こころ」って、いったい何が食べたいのかな?

私たち人間は、「心を癒す」といって、美しいものを見て、きれいな音楽を聞いて、

おいしい物を食べて、柔らかい物をさわって、いいにおい嗅いで、こころが感動する、

感激する、気持ちがいい、と言っているが、

では、これだけ物が豊かになっても、なぜ、人間のこころが病むのか?


言うまでもない、それは、こころが食べたいもの、こころが見たいもの、こころが聞きたいもの、

こころが触りたいもの、こころが嗅ぎたいもの、こころが求めているものではないからなんです。


体が住む世界と、心が住んでいる世界は違うのだ。

体の「五感」が求めているものを、あなたがどんなに満たしてあげても、それは体のこと。

心が求めているを、与えてあげないと、心は満たされないのです。

心が満たされなければ、これが「こころの渇き」、「こころの飢え」なのだ。

心の病は、そうして起きるのです。


気の世界では、「気が共振する」という原理がある。

≪正気は正気と共振する≫、≪邪気は邪気と共振する≫。

互いに気が共振すると、盛んに気が循環し、パワーアップするのです。

「類はともを呼ぶ」ってよく言うでしょう、それみたいなものなんですね。


昨日も言いました、「長嶋監督と篠塚和典の気が共振した!」の話。

1993年6月9日、金沢野球場で行われた巨人・ヤクルト戦にて、

伊藤投手×篠塚選手のエピソードもおもしろいが、それは、表舞台の側面だ。

しかし、「気功心法」実践者の私には、何よりもおもしろかったのは、その裏舞台側にある、

人間のロマンの物語だ!


こころが食べたいもの、それは「人間のロマン」だ!

こころが求めているもの、こころが食べたいもの、

それは紛れもなく「人間のロマン」だと私は思う。

篠塚さんが心身ともに≪ピンチだ!≫という時、時間がないと焦っていた彼に、

私が彼に刺激したのは、「人間ロマン」の物語だ!

これも「気功心法」のテクニックの一つです。

気功心法のファンにも、楽しんで頂きたいと思い、篠塚物語を書いたわけであります。


では、気功心法の立場からみれば、「長嶋監督と篠塚和典の気が共振した!」とは、

どんなことなのか、どんな意味なのか、それはまた明日・・・


篠塚和典物語⑩へ続く・・・

あんどうよしみ

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