2010年11月17日水曜日

■なぜ心病むの?人生の幸不幸、誰が決めるの?

「心の病」、今に日本中で流行すると警告した!

光陰は矢の如し、私が「気功心法」 を出版したのは1995年、あれからもう15年。

本の内容は、私個人の「生き地獄体験」から、いずれこんなことが日本中で流行するだろうと

いやな予感がして、みんなにその危機を呼びかけたものです。

その危機とは、「心の病」だ! そこが、生き地獄だ!


姿を現さない、巨大な≪お金オバケ≫!
お金は「人格」さえ買えるの!?

時代はバブル、実力もなければ、その実態もないお金制度、

その印刷札束が泡のようにブグブグと膨れ上がっていった。

お金というオバケだ!

お金さえあれば何でも手に入る、あたかも「人格」さえ買える、そんな風潮だ。

お金は、あらゆる災難から自分を守ってくれる、身の安全を確保してくれる、

お金は、自分の心の平安も得られる、他人の心さえも買える。

笑いが止まらないほど、印刷束は大人の間で大人気だった。

親は自分の幼い子に言う、「あの方すごいのよ、すごいお金持ちなのよ」

「大きな家に住んでるのよ、高級車に乗ってる」「あっちこっちで別荘を持っている」

お金がたくさんある人は、実に偉いお方だ!

お金がたくさんある人も、自分が実に偉いお方だ、と思っているみぶりをしていた。

はだかの王様が、あっちこっちで、溢れていた。


怠けた生き方、そのつけは、今自分に返還される。

≪類はともを呼ぶ≫というように、「気は共振する」、と、私は警告した。

みんながそういうのりだったから、感染症のように日本中に広がっていった。

社会の大人がそうだから、子供も育たない、荒れるのは当たり前だ。

なぜなら、大人が夢中になっているのは、お金だ、子供の顔を見てないからだ。

子供は産んでも、ちゃんと顔を見て育てなければ、子供は育たない。

今、その幼い子供たちが30歳を迎えようとしている。

大人たちの怠けた生き方、そのつけは、自分に返還されるだろう。

これは、「因果の法則」という、自然法則なのです。

私は罵っているのではない、諭しているわけでもない、

人間の礼儀として他に危険を知らせる、警告しているだけです。


心を見失うと「心の病」に侵される。

私は、28歳という若さで、ある日突然右目が見えなくなった。

10日間の入院検査を受け、日本一と言われた専門の医師に診察してもらった。

結果は「黄斑変性症」と診断された。

検査では、視神経がつぶされているのは明白。

しかし、医師には、つぶれている原因がわからない。治療の手立てもない。

私は、この病気は≪治った前例がない≫と言われ、失明の宣告を受けた。

≪病気は医者が治すものだ≫、そう大人やまわりの人たちに刷り込まれていた。

自分もそうだと思い込んでいた。

ですから、私は医師に見放されたと思いこみ、心身ともに生き地獄に陥った。


「医師の医徳」が、気功心法へと私を導いてくれた。

治療の手立てはないが、とりあえず、意味もなく副作用の強い薬をすすめられた。

退院する日、医師は、薬がもたらす恐ろしい副作用をよく私に説明してくれた。

今、私はこの医師の≪医師としての義務≫を果たしてくれたことに感謝している。

この医師は、薬を出しっぱなしにしなかった。検査任せにしなかった。

親身になってよく診察をしてくれたこと。病気の原因をあれこれと探して研究してくれたこと。

何よりも、大切な薬の恐ろしい副作用を説明してくれたことです。

医師は、「あなたの病気は治らない」とは言わなかった。

「僕には治せない」と正直に言ってくれた。

もし、薬の恐ろしい副作用の説明がなかったら、私はその恐ろしさに気づかず、

セキュリティしなかったでしょう。

私は努力して薬をやめた、その替わりに「気功心法」で自分の心と体を養生した。

これもあの時の医師のおかげ様です。

結果的に、自分の養生が奇跡をもたらしたのです。


体の生き地獄とは、薬の副作用だ!
体のつらい症状

2週間飲んだだけで、医師の説明の通り、薬の恐ろしい副作用が私を襲いかかった。

ほかの身体の機能までがやられて、普通の生活を送ることができなかった。

顔が白鬼のように膨らんで、髪の毛がまっ白になっていく。

体の温度が自分で自制できない、急に熱くなってほてる、急に冷えて悪寒がする。

アレルギーに似た症状で、体中が細かい針に刺されているようなチクチク感、

そうすると死ぬほど痒くなる。

ちょっとした段差でつまずくようになり、歩くのが怖くなる。

心臓がパクパクして、えぐり取られるみたいだ。

日々の生活の中で、思うように体がコントロールできないって、

こんなにつらいことなんだと、つくづく思い知らされました。

いっそうのこと死んだ方がましだと何度もそう思いました。


生き地獄の中継

地獄に閉じ込められた思いだ、まったく自分の意志が許されない。

今日は、閻魔大王に何の刑が下されるのかな…、

どんなつらい症状になるのかな、鍋に入れられる日かな、

それとも氷山に放置される日なのかな、針の山の刑かな、

それとも無数の虫に食われるのかな…。

これが私が体験した生き地獄、その中継です。

だから、私には、病気する人のつらさが身に染みるほどわかるのです。

体が病めば、心も病む。

言うまでもないだろう、心も体と同様、地獄ゆきなんですよ。


「最高の名医は自分であり、最高の妙薬は体内にある。」
気功心法の理念は、こうして生まれたのです。


こんなに不幸な人っているの?こんなに呪われた人っているの?

私は、死ぬことができなかった。だから、生き続けることを決心した。

お金は、私の目を買い戻すことはできない。

どんな最高の専門職業の人にお金や札束を積んだ所で、私の目玉は買えない。

私は、お金で高級車のベンツを買ったが、でも、その車を自分で運転して楽しめない。

私は、子供を産んだが、でも、その子の顔が見えなくなり、抱きしめることができない。

こんなになってしまって、こんなにみじめな人、こんなに不幸な人、

こんなに呪われた人、こんなに神から祝福されない人って、

ほかにはいないだろう、と、そう私は思った。

今、そう思いだしただけでも、涙が出てくる。


こんなに楽しい人生ってあるの?こんなに神から祝福された人っているの?

私はすべてを失ったと思っていた。

しかし、今に思えば、私が失ったのは、≪自分がつくりだした自我≫だ!

おかげ様で、私は天に与えられた能力に気づいた。

「天の覚醒」だ。つまり、お天とう様に気づき、気が共振した!感謝の心が蘇ったのだ。

私は、まだまだ、天に与えられた能力の1%も生かしていない。これに悟ったのです。

片目がなくても、もう片目がある。両目がなくても耳がある、口もある。五体もある。

ほかにもまだまだ沢山ある。

以来、≪自分に「ある」を数えた≫。≪自分に「ない」ものは数えない≫ことにした。

日々天に手を合わせて「ある」ことを感謝した。


私は、こう発想の転換をした。

日々生活の中で、≪自分にないものを悔やむ≫より、
日々生活の中で、≪神からの贈り物に感謝する≫ことを実践した。

そうしたら、私は、まるで生まれ変わった!


人生の、幸不幸、誰が決めるの?

お金?職業?地位?それとも、あなたのお母さん?あなたのお父さん?

気功心法の理念、信じる信じないは、あなたの自由。

これだけは、今の世間様に言いたい、

私たちの住む空間は、「天人地合一」にある。この法則を無視して、

天に唾を吐くもんなら、今にその唾が自分に倍となってかぶるだろう、

地を見下すもんなら、今に足元を取られるだろう、

人の心を失えば、今に≪人の道≫を失くすだろう。

そういう者は、≪バケモノの道≫をゆくであろう。

お金を拝み、職業を拝み、地位を拝み、偶像を拝んでも、ご利益は生まれない。

今に人は知るだろう、「その時」が来たからだ!


あんどうよしみ

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