2010年12月20日月曜日

■ギックリ腰!痛みはトラウマになる。―篠塚和典物語㉓

体と心は、つながっている。

「気功心法」の立場からみれば、≪痛みと心理≫は深く関係しています。

「痛みのトラウマ」とは何か?前回はこんなお話をしましたね。


篠塚さんの場合は、病名「第5腰椎分離症」

典型的な体の痛みからくるトラウマだと私は思った。

腰椎の椎弓の上下関節突起部分が断裂した状態ですが、

野球プレーのすべての動作が腰に負担がかかり痛みが生じるものだった。


通称「ギックリ腰」に似た症状を起こす、やっかいなものです。

疲れがたまるだけでも激痛が襲ってくる、気をつけていても、

痛みが突然やってくるから始末が悪いと、当時の彼は嘆いていた。

初期のころは、痛み止めの注射を打てば一発で治ったが、その注射も効かなくなった。


いいと言われた治療、いろいろうけてみた。

彼は、日本中、いろんなところまで足を運び、いいと言われたものはすべてやったという。

「いい医者がいるよ」と、言われればそこにも行った。

「いい整体師がいるけど・・・」と、言われれば施術もしてもらった。

1時間半くらいかけて、ツメでガリガリ・・・と体中を引っ掻き、

まるでカミソリで切り裂かれているような感じになる治療法も受けてみた。


野球選手生命を脅かす腰の痛み

つまり、彼は野球選手をやめて安静をとればよくなる、そんな状態だった。

しかし、彼はプロの野球選手、やめるわけにはいかない。

野球選手を続けるにはどうすればいいのか? これが問題だった。


気功心法で、「痛みのトラウマ」をコントロールする。

そんな状態の中で、篠塚さんは私の所にやってきたのです。


私にできることは、彼に「気功心法」を教え、自分自身で「痛みのトラウマ」の

≪心のロック≫をはずす、この方法を試してみる、これしかなかったのです。


痛みはトラウマになる。

先ほども言ったように、体は、心とつながっている。

体が痛い思いをすれば、心もこの痛みを体験して強い精神的ストレスを受ける。


体の痛みは24時間継続するわけではない。

でも、心は痛みが忘れられないのですね。


ですから、体の痛みは、ある程度の時間が経過したあとも、

心的障害を引き起こす原因となる可能性は十分にあると、気功心法は想定し、

これを「痛みのトラウマ」と呼んでいる。

そして、その解決方法を探り研究しているのです。


つまり、気功心法で「痛みのトラウマ」をコントロールする、という試みです。


しかし、訪ねてきた彼に、私は一切の治療も施さなかったばかりか、

「オレは即、治してほしいのに・・・」と、焦っていた彼に、6時間にも及ぶ講義をした。

「冗談じゃねぇや」と、彼は心の中で思っていたようですが、

当時の彼の顔に十分にそれが書いてあった(笑)

    ・・・篠塚和典物語㉔へつづく


「ミスターがくれた19年」 、篠塚和典著、ベースボール・マガジン社発行
P182~189


あんどうよしみ

2010年12月17日金曜日

■気功心法で「痛みのトラウマ」の心のロックをはずす-篠塚和典物語㉒

痛みと心の深い関係

心と体は、つながっている。

心の傷は、体の痛みをつくる。

体の痛みもまた、心の傷をつくる。

これが、「痛みのトラウマ」なんです。

「気功心法」の立場からみれば、≪痛みと心理≫は深く関係しています。

心と体はつながっている。

体の痛みは心の痛みをつくり、心の痛みは体の痛みをつくる。


体の痛みに、心が傷つく。

たとえば、あなたがケガして、体に傷口をつくったとしましょう。

その傷口がズキンズキンして、ヒリヒリすれば、心も痛くなりません?

思うように体が動かないと、心がゆううつになりますよね。


こうして体が痛い思いをすれば、心も傷ついて行くんです。


心の傷に、体が痛む。

また、悲しいこと、いやなこと、ショックな出来事に遭遇すれば、心が傷つきますね。

心がモンモン、シクシク・・・すれば、誰だって考え込んだりして元気がなくなる。

元気がなくなれば、誰だってやる気失せて、体の動きがにぶくなり運動不足にもなる。


そうなると、腹痛やら頭痛やら腰痛やら・・・で、あっちこっち肩も凝ってきませんか?


気功心法で、「痛みのトラウマ」をコントロールする。

この体の痛みも、心の痛みも、一旦おさまった後も≪後遺症≫みたいに残ることがよくあります。

このことを、気功心法では、「痛みのトラウマ」と呼んでいる。


この「痛みのトラウマ」が、一旦心にインプットされてロックされてしまうと、

なかなか取れなくて厄介なことになる。


「またあの痛みが起きるのではないか」と、痛みを必要以上に怖れるようになり、

体験した状況を回想したり、類似した出来事にパニックを起こすこともしばしば見かける。


篠塚さんの場合は、≪体の痛み≫が主な原因で・・・→篠塚和典物語㉓へ続く

あんどうよしみ

2010年12月16日木曜日

■もっと早く「気功心法」を知っていたら・・・篠塚和典物語㉑

篠塚和典著、【ミスターがくれた19年】ベースボール・マガジン発行

    「気功心法はすごい。

       近代医学にはない神秘さ、尊厳さがある。

          もっと早く安藤先生と知り合っていたらねぇ…」


そう言えば、1995年、篠塚さんが出版した

「ミスターがくれた19年」ベースボール・マガジン発行(P188~189)で、

こんなことが書いてありました。

その意味は、もっと早く「気功心法」に出会っていたら、

ぼくの野球選手生命が延びていただろう、ということだと思う。


【6・9運命の日】の翌年、篠塚さんは引退した。

正直言って、当時私は早すぎた彼の引退が納得いかなかった。


なぜなら、気功心法を指導してきた私の立場からみれば、

腰痛があるものの、見事に「気功心法」を自分のものにした彼には

まだまだ現役続行する余裕があったはずだと判断していたからです。

もったいない、本当に残念だ、そう思ったのです。


あとでわかったのですが、それにはそれなりの理由があったようです。

彼の本の「ミスターがくれた19年」の、≪引退、そしてコーチ≫P190~191にも

書いてありますが、篠塚さんは現役続行を希望したが、当時の長嶋監督との話し合いのもとで、

若手を育てていくという監督の希望に、彼は合意してコーチに転換したそうです。


心と体はワンセット、気功心法は「心と体のバランス」を考えるメソッド。

選手は常にケガと背中合わせ、そのためのメンタルケアも重要となる。


彼なら、気功心法を生かして、若手の「心と体のバランス」をケアしていくでしょう。

指導者として大変に適任だと私も思う。それで私は納得しました。


1993年【6月9日】、金沢野球場で行われた巨人・ヤクルト戦。

その勝負の結果がどうであれ、私にはこの試合を通して、

私たちに大切な事を伝えようとしている≪運命のメッセージ≫を感じてなりません。


この試合を通して、私たち大人に、

≪心と体のバランス≫の大切さを叱咤しているのかもしれません。

また、これからの後世を守っていく使命を催促しているようにも感じた。

篠塚和典物語㉒へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年12月15日水曜日

■負けたと思い込んだ時が人生の負けだ!-篠塚和典物語⑳

人生に勝ち負けは存在しない。


数字であらわすこともない、高い低いもない。


人生は経験・体験の連続。


成功の経験体験から学び取ることがあるが、


失敗の経験体験から学び取ることもある。


ゆえに、人生に成功もなければ、失敗もない。


ただし、あなたが「負けた」と思い込んだ時、


あなたの「人生」は負けたことになるだろう。

 
どんな人生であろうと、「勝ち負け」は存在しない。

何を勝ちとするのか、何を負けと呼ぶのか、生きる価値観はそれぞれ違う。


大きな家に住んでいて、たくさんの別荘や土地をもっていて、金持ちであっても、

「人格」がなければ、人間として生きたことにはならない。

それは、単なる「守銭奴」「守財奴」にすぎない、つまり、財産を守る奴隷の意味。

または、土地、別荘の収集家だろう。


日本人は言う、「寝て一畳、立って半畳」、足ることを知る心が人間の生き方だ。


伊藤投手が悲劇な野球人生!?

さて、お話を【6・9】運命の日にもどしますが、

伊藤智仁氏、彼の野球人生は、「悲劇的だ!」

と、このような言葉で彼の野球人生を表現する書き込みが多かった。


「あれだけの天才だ、悲劇な野球人生はないでょう!」と、

私の心の中で思わず悲鳴が上がった。


「人生」は、競争じゃない、ましてや数字で優劣を表すものではない。

他人があれこれ評価して、勝ち負けのレッテルを貼るのはやめよう。


彼は、ケガの痛みを背負いながらも、高名な野球技

≪153km/hのストレートと真横に滑るような高速スライダー≫をもって、

私たちを癒し楽しませてくれたと思うのです。

野球ファンではなかった私でも凄いと思う、彼に「お疲れ様」と感謝の意を表したいと思った。

みなさんはどう思いますか?


彼の一個人の悲劇ではない、日本国の悲劇ではないでしょうか?

これだけの素晴らしい若い人材が日本にいて、なぜ選手生命を短命に終わらせたのか? 

周りの大人にも反省する点があったのではないのだろうか。


我が国の若い人材は、国の財産です。

これを使うだけ使って悲劇に終わらせるのは、国の悲劇というものです。


これを教訓にして、武道精神の「心技一体」に則り、技法ならず、

「心法」の極地を求める意味での、若者たちの「メンタルケア」に力を入れるべきだと思います。


篠塚和典物語㉑へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年12月14日火曜日

■邪気もパワーだ、でも「円環体」はできない-篠塚和典物語⑲

「気は共振する」、ゆえに気は気を呼ぶ、


正気は正気を呼び、邪気は邪気を呼ぶ。


気が集まれば、これが気のパワーだ!


邪気は攻撃性に富み、ゆえに足先が速い。


正気は守護性に富み、ゆえに足元が固まる。


「円環体」は正気に満ち、ゆえに最高の守戦法とされる。


読者からこんな質問がありましたね、

気がみなぎってくるとリラックスして潜在能力が引き出されるのでしょうか?


「気」が体内で充実すれば元気になる。

勿論です、中国医学的な解釈では、基本的に気がみなぎると血行がよくなり、

体が軽くなって元気になるという。


病気している人は、免疫力が高まり回復に向かう。

妊娠したい人は、妊娠しやすい体になる。

あなたの体が健康体であれば、体力も脳力も高まるので、

潜在能力も引き出されやすいということになるでしょう。

スポーツや武術を向上したい人は体力が必要ですね、

成績を向上したい人は脳力が必要ですね。

また、体力や脳力が強ければ、それだけ病気にかかりにくく、若くもいられるね。


「邪気」は勢いがいい、でも、自爆する性質をもつ。

ただし、「心の動き」が悪いと、潜在能力が引き出しにくくなる。

たとえ気がみなぎって潜在能力が引き出されたつもりでも、幸福にはなれない。


気は気でも、「邪気」がたくさん集まれば、パワーは出る。

「気は共振する」原理から、邪気はいずれ邪気の仲間をよぶから、

闘争になって災いを招くからです。


それだけじゃない、「邪気」は勢いが強いので、持続性がないという欠点をもつ。

ですから、勝ったつもりでも、放っておけば、いずれ勝手に消える現象をもつ、

これを「自爆」という。


「6・9」の日、篠塚さんの「円環体」は、闘争心のある時にはできません。


「円環体」は、正気がみなぎった時にできると言われています。


心と体の相互作用。

心と体はつながっている、互いに影響し合うという相互作用をもっている。

体に気が充満し元気であれば、心もそれだけ楽になれる。

逆に、風邪を引いて頭やのどが痛ければ、それだけ心もゆううつになる。

心と体のコンディションは、互いに影響し合って、原因となり結果となる、

これが心と体の「相互作用」です。


「心の動き」が悪いと、心は元気になれない。

しかし、「気」が充実しただけで、「心」が必ずしも元気になれるとは限らない。

「心の動き」が悪かったら、心は元気にはなれない。


イライラ・カリカリ・クヨクヨ・メソメソ・・・、このような心の動きは、心を病気にさせる。

また、うらむ心、にくいと思う心、不満足に思う心、つらいと思う心、妬み嫉みの心・・・なども、

「心の動き」の機能を悪くさせるのです。


自我が強くてもよくない、自分を見失ってもよくない、自信過剰もよくない、

自信なさすぎてもよくない・・・と、まぁこんな感じですね。


では、どのように、心の動きの強弱を調節すればいいのか?

あれこれ考えても心労するだけだから、とりあえず、平常心にするのが基本ですね。

篠塚和典物語⑳へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年12月13日月曜日

■野球のことなら、「野球道」をいく、【篠塚流野球塾】へ集まれ!-篠塚和典物語⑱

日本が危ない! 

日本は今、政治、経済、教育、医療・・・

あらゆる面において迷走し打開策を見いだせないまま混沌に陥っている。

そうは言っても「庶民の私たちにはどうすることもできない」なんて思いがちですが、

国民の元気があっての国ですから、国がやらないのなら、国民レベルで次の世代のためにも

みんなでよくしていきましょうよ。


まず親御さんから、精神力を高め、守りの智慧を身につける。

それでは、どうやって子供たちの心身の健全を守るか? 

それには、まず、子供の親となる世代の精神力を高めること、

守りの智慧を身につけることですね。


「温故知新」、昔の物事を吟味して、そこから新しい知識や見解を得ること。

昔の「日本武道精神」ってどんなものだったのか?

前回のお話のつづきですが、本来の真の日本武道精神を思いだしましょう。

これがわかってくると、昔の日本は本当に後世のことをよく考え、いい国だったんだな、と、

きっと誰もがそう思うだろう。

今みたいに、子供を虐待したり、殺したりするなんて、本当に考えられない。

いったい、どこで「道」を間違えたのか?

それとも、ただ迷走しているだけなのか?

事なかれせずに、みんなで行動を起こそう!


日本伝統の「武道精神」が、戦中、「戦闘精神」に変わってしまった!

本来、自分の心身健康のため、他人とのつながり、人と人との絆を結ぶための、

日本の「武道精神」が、戦中、「戦闘の精神」に変わってしまったのです。

戦争の中、武道教育は、「攻撃精神」、「必勝の信念」、「没我献身」などの言葉で語られたが、

つまり、攻めて戦う精神、必ず勝つという信念、自分を失くして国に献身する、というものでした。


「日本の武道」の本来の学校武道の良さが見失われてしまったことは

極めて憂慮すべきことだと悔やむ武道専門家も多い。

前回もこんなお話をしましたね。


では、どんな武術の種類があるのか?

たとえば、日本古来の武道の「柔道」なら、素手で相手と取り組む≪柔術≫の技法。


日本の武道の「弓道」なら、弓で矢を射る≪弓術≫の技法。

「洋弓」なら、日本の弓より小型の弓≪アーチェリー≫を使う、≪弓術≫の技法。


「剣法」なら、刀剣を振るって闘う≪剣術≫、日本の「剣道」は木刀、西洋流の「フェンシング」は、フルーレ・エペ・サーブル。


「合気道」は、柔道から出た、当て身のわざ・関節わざを主流とする。

「空手」は、空手チョップといって、沖縄から出た拳法と言われている。

「拳法」は、中国の少林寺拳法なら、こぶしで突き足でけるわざを主流とする。


狩猟・戦闘の「武術」から、心と技の一体を目ざす「武道」へ

日本の伝統文化では、「武道」とは、柔道、剣道、弓道、銃剣道、射撃道などの総称としています。

江戸時代までは「武術」と呼んでいたが、明治以後に「武道」という言葉が使われるようになった。


そもそも「武術」というのは、狩猟や戦闘の技術から発達してきたもの。

のちに、技法ならず、「心法」の極地を求めるものとなり、

精神と技術を一体と考えることが重視されるようになって「武道」として受け入れていった。


「剣道」は、人間形成をはかる武道です。

たとえば、「剣法」とは、刀剣を振るって闘う技術という意味ですが、

「撃剣の試合」というと、剣などで相手を攻めたり守ったりする剣術の競い合い。


しかし、「剣道」は、剣術を通して人間形成をはかろうとする武道とされています。


全員が必修!? こんな情報、あなた知ってますか?

「武道教育」が中学校の体育で学習指導要領の見直しが固まり、

早ければ2011年度から、2年生まで≪全員が必修≫することになるらしい。


必修となれば、ご本人の意志による選択ではなく、必ず全員が習得しなければならない、

ということですが、私は反対ですが、あなたはどう思いますか?

なぜなら、前回も言いましたように、「武術」は武器となるものです。


国の号令で若者たちに武術を習わせても、果たして礼節や公徳心が身につくのでしようか?


何も≪武術の道≫を取ることだけが、「心の道」を習得することではないだろう。


また、国家が武術精神の道と結びつけるのは、「心の道」を習得するというより、

再びあの暗い戦争の過去、国のために戦闘する精神に成変わっていくのではないだろうか?


今、時代が多様化し、選択肢が広がったはずです。

男女が何にでも挑戦できる時代に「必修」は似合わない、多くの「道」から選び取られてこそ、

「真の武道」も輝きを増すという専門家の意見も多い。。

あなたはどう思いますか?


野球道をいく、「篠塚流野球塾」をおすすめします。

自分を知る、人と人との礼節、けじめや節度などを覚えさせ、

相手とのコミュニケーションをとるのが目的なら、野球チームから学び取ったらいかがでしょうか?


気の立場からみれば、野球のキャッチボールは、お互いの「気合い」をとるには最高の手法です。

それと同時に、チームプレーから公徳心が養われるのではないでしょうか?


そこで、野球という技術ばかりでなく、医療気功法でケガからわが身を守り、

「心法」を取り入れる篠塚さんが主宰する「篠塚流野球塾」は、

まさに「野球道」をいくものだと私は思う、日本後世の心身の育成にぜひともおすすめします。

篠塚和典物語⑲へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年12月10日金曜日

■武道には「武徳」、医道には「医徳」-篠塚和典物語⑰

「武術」を習得しただけで、「武道」を修得したとは言えない。


「医術」を習得しただけで、「医道」を修得したとは言えない。


武道には「武徳」、医道には「医徳」


徳なくして道あらず、道なくして徳あらず


これが、人の心がおもむく「TAO」である。

→続き
②「武術」は技法でしかない、「武道」は武士の心の道である。

そもそも、「気」は誰でも持っている。

だから誰でも≪武術の技法≫を習得すれば、気をあやつり、

武術のスポーツ・競技などに使うことができる。

闘争・ケンカ、他を殺すことに使うことだってできる。


しかし、どんなに武術の達人になったとしても、「武徳」の心得を修得しなければ、

≪真の武道≫を修めたとは言えない。

なぜなら、武術は技法であり、技術にすぎないからだ。


③「医術」は技法でしかない、「医道」は医者の心の道である。

誰でも医学の学校に行けば、「医術」を習得することができる、医者になれる。

医者になって、肉体を切ることも、縫うことも、薬を飲ませることも、

人間の法律では許されて、病気を治癒することができ、他から尊敬を受ける。。。

でも、医術で、相手を殺してしまうこともできる。


どんなに医術の達人になったとしても、「医徳」の心得を修得しなければ、

≪真の医道≫を修めたとは言えない。

なぜなら、医術は技法であり、技術にすぎないからだ。


武術も医術も「徳」・「道」がなければ、怖い武器となる。

武術も医術も武器であり、あらゆる生命体を救い平和を守るために使うことができるが、

逆に、戦争を起こして生命を殺し、ヤミにほうむることに使うこともできるのです。

ですから、戦争兵器にならないように、人は、努力して

人間の心の「徳」を備えていかなければならないのです。


≪気をあやつる≫とは、

自分の気をコントロールして集中させて力をこめる、かつ相手の気や

場の空気を読みあやつる力のことを言う。


武術の熟練者ともなると相手を投げ倒したりすることができる。

気をあやつる達人であれば、何人もの人が束になってかかっても四方八方率いるかのように

相手を一撃で倒してしまうことができるでしょう。


「武術」を闘争・ケンカに使ってはならない。

くれぐれも忘れてはならない。「気」は誰でももっている。

あなたが好きな「武術」を選択し、その技法を身につけば、あなたにも「気」をあやつって、

武術のスポーツ・競技に生かすことができる。

しかし、闘争・ケンカに使ってはならないのです。


闘争・ケンカは、「邪気」に属する。

この「邪気」を自分に取りこんでしまうと悲劇を招くから気をつけましょう。

篠塚和典物語⑱へ続く…

あんどうよしみ