2010年12月9日木曜日

■キャッチボール、気の循環をよくする!-篠塚和典物語⑯

生きていく中、誰でも、一度は思うのだろう・・・

なぜ、自分は生まれてきたのか?

人が死んでいくのを見るたびに、誰でも、一度は思うのだろう・・・

なぜ、人は死んでいくのか?


生まれてくるからには原因がある。

それは、「生きていく」ことが目的である。

いずれ死んでいくが、これもまた、「生きていく」ことが目的である。

人は、生きていくために、生死をくりかえすものだ。


どうせ生まれてきたんだから、

どうせ死んでいくんだから、

それならば、生まれてきたわけ、死んでいくわけ、あれこれとモンモン考えること勿れ、

それより、「生きていく」、その過程、そのプロセス、その道筋を格好よくしよう。

人間として生まれたのならば、「人格」を重んずること、

それには、人間の心を活性化させる、これが人間の心が行く道筋である。

「道」とは、そういうものである。


読者からの質問

柔道の熟練者ともなると気で相手を投げ倒す?

日本の「道」のつくもので、例えば合気道でもありますね。

何人ものひとが束になってかかっても四方八方率いるかのように相手を一撃で倒してしまう。

気がみなぎってくるとリラックスして潜在能力が引き出されるのでしょうか?


「気」は、相手を倒すためのものではない。

柔道、剣道、空手・・・等々、武術の熟練者ともなれば気で相手を倒すことはできる。

勿論、拳法やレスリング、ボグシング・・・なども同じことが言える。


ここで知っておく大切なことは、「気」を集めて相手を投げ倒すことができる、

しかし、「気」は、相手を投げ倒すためのものではない、ということだ。


①「気」は、生きているものなら、誰にもある。

あなたにも私にも・・・誰にも「気」はある。 あなたの猫にも、私の犬にも・・・。

「気」とはエネルギー。私たちの体内に存在するものだし、体外にも存在している。

人と人の間に、花と石の間に、太陽と月と地球の間にも・・・気は存在する。


体内の「気」は、私たちの命を起動させ、活動させるものなので、

ゆえに「生命エネルギー」とも呼んでいる。


体内の「気」は、たえず体外の「気」と交信し循環している。


生きていくことは、気をスムーズに循環させることが大切です。

気の循環が悪いと、病気にかかりやすいだけでなく、ケガもしやすい、

人間関係も悪くなり、運命も悪くなる、災難が降りかかりやすい。


野球の名人であり、気功心法の達人である、篠塚和典さんに

「キャッチボール」を教えてもらうといいと思う。

ですから、私は、自分の体内の気の循環、人と人との間の「気」の循環を

スムーズにさせるため、ぜひとも「キャッチボール」をおすすめ致します。


野球の名人であり、気功心法の達人である篠塚さんに野球を教えてもらうのは、

≪心と体のバランス≫をはかるのに、この上なく、最高にいいタイミングだと思う。

私も気の循環向上をはかり、運動不足を解消するために、

篠塚さんの野球教室に参加する予定です。

篠塚和典物語⑰へ続く…

あんどうよしみ

2010年12月8日水曜日

■心気と技術の一体、これが真の武道だ。-篠塚和典物語⑮

「武術」は、狩猟や戦闘の技術から発達してきたもの。


「武道」は、技法ならず「心法」の極地を求め、


精神と技術を一体にする。


読者からこんな質問がありましたが、

柔道の熟練者ともなると気で相手を投げ倒す?

日本の「道」のつくもので、例えば合気道でもありますね。

何人ものひとが束になってかかっても四方八方率いるかのように相手を一撃で倒してしまう。

気がみなぎってくるとリラックスして潜在能力が引き出されるのでしょうか?


「気」とは何か? 学校の教科書では教えないこと。

大切な部分を質問をしていますので、今日から何日かに分けてここを触れてみたいと思います。

こうして、篠塚さんの「円環体」のお話をきっかけに、そもそも「気」とは何か? 

また、何のために存在しているのか? これからどのように「気」と付き合っていくか?

これらを知っておくことは、非常に生活の中で役に立ち、

いい意味であなたの人生観が変わってくると思う。


特に、あなたが日本人なら、なおさら「日本武道」の歴史、

その由来についても知ってほしいのです。

なぜなら、日本の伝統文化であり、古代の日本精神であるからだ。

私は単に、あなたが日本精神に目覚める、その手助けをしているだけです。

いわば、私は道先案内人にすぎません。


第一歩として、まず、「武道」と「武術」の違い、これを知って頂きたいのです。


「日本の武道」は、昔は≪学校武道≫といって、相手とのコミュニケーションをとるために、

≪武道教育≫を学校で行われていたそうです。

それは、自分を知る、人と人との礼節、けじめや節度などを覚えさせるのが目的でした。

「気功心法」もまた、同じ目的です。

ただ、「武道」との手法が異なる部分がある。


武道も、気功心法も、≪気をあやつる≫、この部分は同じです。


武道は、「武術」をこなし、気功心法は、「医術」をこなす。


手法は違っても、行こうとする≪道の方向性≫は同じだ。


双方とも≪自分の心身の健康≫≪他との礼節心「調和と共存」≫


をはかる、これが≪道≫です。


日本伝統の「武道精神」が戦中、「戦闘精神」に変わってしまった!

しかし、戦争の中、武道教育は「攻撃精神」、「必勝の信念」、「没我献身」

などの言葉で語られたが、つまり、攻めて戦う精神、必ず勝つという信念、

自分を失くして国に献身する、というものでした。


本来、自分の心身健康のため、他人とのつながり、人と人との絆を結ぶための、

「武道精神」が、「戦闘の精神」に変わってしまったのです。


「日本の武道」の本来の学校武道の良さが見失われてしまったことは極めて

憂慮すべきことだと悔やむ武道専門家も多い。

篠塚和典物語⑯へ続く…

あんどうよしみ

2010年12月7日火曜日

■「心気」が高まれば、あなたにも自然妊娠できる。-篠塚和典物語⑭

彼はなぜ、2度、打席をはずしたのか?

3度目、彼がバッターボックスに立った、その時だ!

篠塚さんを囲む「円環体」ができた、

彼が構えると、スイッチが入った!


もう一度よーく思い出してください、【6・9】のあの日、あの時、

篠塚さんは、2度、打席を外したね、なぜだろう?

なぜ、彼は2度もわざわざ打席をはずしたのだろうか。


その時の状況を、緊迫事態に臨んだ時の緊張感か、

プレッシャーか、という声もあった。


なぜ、篠塚さんは、2度、打席をはずしたのですか?

私は篠塚さんに直接聞きました。そうすると、彼はこう答えたのです。


「伊藤が焦っていたのか、彼のペースがかなり速くなっていた。

それでぼくは自分のペースを整えた。

心の中で伊藤に≪そのペースで来なさいよ!≫って感じでしたよ」


これを聞いて、みなさんはどう思いますか?

それぞれに自分の考えで、研究してみるといいと思う。

言うまでもないが、人は焦ると足元がくずれる。

篠塚さんは、それと逆に平常心でもって自分の姿勢を整えるために、2度打席をはずしたのです。

その結果として、自分の中心の軸にスイッチが入ったんだね。

だから「円環体」ができた。

彼は、まさに「気功心法」の達人だ!


こうして「心気」が高まれば、あなたにも自然妊娠できる。

     焦らずに、自暴自棄にならないで、

     自分を整えて、自分を信じることです。


赤ちゃんがほしいのに、なかなか妊娠につながらない。

いいと言われること、やれるだけのことすべてやった、

努力しているのにそれでもなかなか願いがかなわない。


慢性的な病気や痛みを患っている時も同じ心境だ。


誰だってそんな時は、なぜだろう・・・と、問いたくなる。

そんな気持ちが続けば、イライラしてカンシャクを起こしてしまい、憂鬱にもなる。

努力しているだけに、頑張っているからこそ、その期待も大きくなるだろう。


しかし、「焦ってはいけない!」

日々、平常心を養い、自分の姿勢を整える、そうすればほしいものは、

向こうからやってくる。

これが、「円環体」の奇跡、というものなのかもしれない。


篠塚和典物語⑮へ続く…

あんどうよしみ

2010年12月6日月曜日

■封印されたあの男の「心気」が再びよみがえる-篠塚和典物語⑬

 「ノアの箱船」は伝説です、作り話ではない。

伝えて説く必要があるから、伝説は生まれる。

いつの時代でも、伝説は時空を超えて、

邪気が立ちこめた時、再びよみがえるという。

今が、その時だ!


あたかも一度はドラゴンボールに封印された伝説、

そのエネルギーが解き放され、再びよみがえる。

天意なのか、それとも運命なのか、私が再びあの【6・9】の日に見たもの、

≪篠塚さんの「円環体」≫の出来事を語ることになるとは。


邪気が一面に立ち込めている。

それは、まるで一度はドラゴンボールに封印された篠塚さんの「心気」が、今、

再び解き放され、その心がもつパワーが、

四方八方に飛び散っていく、そんな予感がする。

そうであったらいいな、と思う。

なぜなら、今、世の中は、邪気が一面に立ち込めているからだ。


こんな乱れた世の中、そろそろみんなも痛感しているころだろう。

「Wake Up!」、さぁ、いい加減に目を覚まそう!


この邪気を制するのは、あの男だ!

そう、私が【6・9】の日、紛れもなく見てしまったもの、

≪円環体の中心に身をおいた男≫、篠塚和典さんのことです。


こんな時に、彼がユニホームを脱ぐのは偶然ではない!

もう時間がないからだろう、私は、運命の足音を感じる。


彼は、再び「心気」を武具に、「円環体の中心に身をおく」、

そして、数多くの野球小僧のたましいを救うだろう!


どんな伝説だろうと、その意味は深い。


なぜなら、伝説は人間の心を打つから、人々は≪意味が深い≫と思うからだ。


意味が深いから、人々は尊いと思い、大切なことだから、


自分の後世に伝えて説いていかなければならないと、使命に思うのです。

篠塚和典物語⑭へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年12月3日金曜日

■エネルギー体、これが「円環体」-篠塚和典物語⑫

どんなコースに投げられても、打ち返せたのだ!

古代より最高の守戦法とされてきた。


篠塚さんが≪円環体の中心に立っていた≫

なぜ、篠塚さんに円環体ができたのか、私なりにいろいろ考えてみました。


 これは私だけの解釈ですが、相手があの天才の伊藤投手だから、

篠塚さんの≪心気が一点に集中≫され、

その結果としてあの「円環体」が出来たのかもしれない。


まるで、目にみえない「気体」でできている、バリアの「円環体」。

円環体は、エネルギーのかたまりでできている「気体」です。

大きな≪エネルギー、ドーナツ≫みたいに、その人のまわりを囲む。

目には見えないから表現に苦しいのだが、命のかたまりみたいで、生きてるって感じ。

生きてるから、その人のまわりを、ぐるぐると動きまわり出す感じなんです。


で、その中に、篠塚さんがバットを構えていたということです。

それで、伊藤投手が投げてきた高速ボールを打っちゃったってわけですよ!

今でも鮮明に感じるから、あのエネルギー体のパワーって、いったい何なんだろうね。


「円環体」は、しばしば武道の世界で見られることが多い。

柔道や空手・・・、カンフー映画やサムライの映画・・・。


人間の心気がみなぎって、最高潮に達した時にできるらしい。

そうすると、四方八方囲まれたまわりのものを、次々と跳ね倒すのだ、

だから、「四方八方率いる」、と言われている。

古代中国の戦法としてよく使われてきました。


円環体とは、輪環体、トーラス、とも言う。

ドーナツ、指輪みたいな≪ワの形≫をなすもの。

その円環の中心に身をおくと、人は四方八方の「気」を

自分に取り込むことが出来ると言われている。

つまり、その円環に入れば、あちらこちら、どんな方向から攻められても

打ち返せるということです。


私は、1995年に出版した「気功心法」の本にも書きましたが、

彼は平常心そのものでバッターボックスにに立った。

その時、篠塚選手は円環の中心に身を置いていたのである。

だから、「無窮の変化」に対応できた。

つまり、どんなコースに投げられても、打ち返せたのだ。

セ・リーグ記録を塗りかえるような最高のピッチングをしていたヤクルト・伊藤投手も、

このような篠塚選手を抑え込むことは出来なかった。
篠塚和典物語⑬へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年12月2日木曜日

■気功心法、神気のわざ-篠塚和典物語⑪

篠塚さんが≪円環体の中心に立っていた≫

あの時、篠塚さんは、2度、打席を外した。

3度目に彼がバッターボックスに立った、その時です、

彼が構えた瞬間、「円環体」が出来たのだ!


もちろん、彼はその円環体の中心に身をおいていた。

私は目が丸くなって、それを見張った。

そうすると、一撃で、ボールが一直線にライト・スタンドへ飛んでいった……


で、サヨナラホームラン~となったわけなんですよ。

私は開いた口がふさがらなかった。


サヨナラホームランは、偶然ではない!

ホームランは偶然ではなかった!

だって、背筋がぞっとするほど、「神気」がみなぎっていた。

つまり、「円環体」とはそういうものなんです。

野球に興味がなかった私でも興奮した。

それ以来、私は野球はおもしろいと思うようになり、興味を持つようになった。


「神気」がみなぎり、鋭い眼力の光、軽快な身。

私は野球のことがよくわからない、でも、私は気功心法実践家ですから、

「心気」がよめるのです。

バッターボックスに立った時の篠塚さん、彼が構えた瞬間、「それ、来た!」と、

私は一瞬にして円環体の予感をするやいなや、円環体がまわりだしたのだ。

人の心がもつパワー、これが「心気」ですが、心気がみなぎるとそれが

「神気」を感じさせるのです。


人に「神気」がみなぎると、目が鋭くなって、まるで「第3の目」が光っているように見えるのです。

これを「鋭い眼力」という。

そして、こころよいまでに、身体が軽くなり、すばやい動作が取れるようになる。

カンフー映画でよくみかける、仙人のような身軽な動きのこと。

私の教室の生徒さんなら、私が言おうとするこのことがわかるでしょう。

これは≪心気≫が成せるわざなんです。

だから、サヨナラホームランは、偶然ではなかったのです。


武道を行く方なら、≪円環の中心に身をおく≫、このことがわかる。

そう言うと、何かと霊魂やら怪奇的な事柄を言われがちですが、そうじゃないんです!

武道をやっている方なら、理解して頂けると思いますが、

誰でも「心と体のバランス」を鍛錬すれば、「神気」という境地に達することができるのですね。


心と体が完璧な状態で一つになると、そこに肉眼では見えないが、自分の心身を囲む、

バリアのような、気の「円環」ができる。

その円環の中にいることを、≪円環の中心に身をおく≫、と言うのです。


「円環の中心」に身をおくと、何が起きるかって?何ができるかって?

それはまた明日の楽しみにしましょう!

篠塚和典物語⑫へ続く・・・

あんどうよしみ

2010年12月1日水曜日

■人間のロマンが「心を癒し病を治す」-篠塚和典物語⑩

長嶋監督と篠塚和典の人間ロマン【6・9運命の日】

長嶋監督と篠塚和典の、「気が共振した!」

   「ここぞという時に、長嶋監督は篠塚和典にその場を託した。

    ここぞという時に、篠塚和典は長嶋監督の信頼に応えた。」


言葉はなくとも、彼たちは互いに「心の気」のテレパシーを飛ばした。

彼たちの間には、言葉で表現できないほどの、「信頼の尊さ」があったのだ。

気の世界では、これは、「正気」に属する。


≪気のキャッチボール≫

長嶋監督は、ここぞという時に、篠塚和典にボールを投げた。

篠塚和典は、これを受けとめて、長嶋監督に返した。

まさに、これは≪正気のキャッチボール≫というものだ!


本当に、感動しますよね、心打たれますよね。

だから、この試合は、ドラマチックだった、って、私は言うわけなんですよ。

まったく、≪名打者は心をも打つ!≫とはこのことだ!


まさに、ここぞという時に、ここぞという一撃、これが≪心気が成せる技≫なのです。


長嶋監督と篠塚和典の人間ロマンの物語を、こころで噛みしめよう!

長嶋監督と篠塚和典、彼たちの≪心気のキャッチボール≫は、

何もこの時が初めてではありません。

実はこの2方には、長年にわたっての≪心と心のつながり≫、

≪人と人の深い絆≫があったのです。

彼たちはお互いに引退するまで、一時も人間の心、人間の絆を忘れることなく、

球のキャッチボールならぬ、気のキャッチボールを投げ続けたのです。

まったく、あきれて口がふさがらないほど、シンプルで、太陽みたいな男たちだ!


この2冊の本、ぜひとも取り寄せて読んでほしい。

そして、こころで噛みしめて読んでごらん、私のあきれるほどの感動の気持ちがわかるから。


篠塚和典・著―「ミスターがくれた19年」 ―ベースボールマガジン社(p188~189)

長嶋茂雄・著―「ありがとう!シノ/名人・篠塚利夫」 ―恒文社発行
※のちに改名-篠塚和典

篠塚和典物語⑪へ続く・・・

あんどうよしみ